つまらない女に贈る拍手

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息子と散歩しているとしばしば出くわす1歳児のお母さん、いっけんホンワカしていてガーリーな20代の女の子という感じなのだが、私が何を喋っても食い気味で「ウフフフ・・・」と笑ってくるので怖い。そういうbotかと思う。

東京にはじめて来たとき、東京の人間がすぐに「ウケる」と口に出して言うので、「クソつまらねえことを言うな」と怒られているのかと思い怖かったのを思い出した。

あと、東京の人間は、笑うときに手を叩くのも怖かった。

本当に面白いときには手を叩く余裕などないので、これはつまり「全然笑えない。困ったなあ。手でも叩いてデカい音を出し、相手の注意をそらすか」みたいな意味なのだ、怖いなあ、と思っていた。怯えすぎである。

今も手を叩いて笑うことはできない。それは別に「怖いと思われたら嫌だから」とかそういうことではなく、単に、動きとして複雑すぎるから。

 

昨日は午前に仕事をし、午後は息子と散歩。

和菓子屋さんに行き、お団子は例によって売り切れていたので、おまんじゅうを買った。

息子は「あんこの入った和菓子」を生まれて初めて食べた。

最初食べたとき、多分あまりにも異質な味だったのであろう、ブエエ!!! と言って顔を顰めていたのだが、だんだん美味しさが分かってきたのかモリモリと食べていた。道ゆくおじさんに「美味しそうだねえ」とコメントされ、ちょっと誇らしく思う(私が)。

 

食べ終わってから「これ好き?」と聞いたところ、ウーンと考えたあと「そんなに好きじゃ、ある」と言っていた。

複雑なboy心。いつも心を100パーセント正しく形容したいよね。

母は君の自由な日本語が好きだよ。

 

まんじゅうを食べたあと、遊歩道を歩いていたら、1歳ぐらいの女の子がお父さんと一緒に歩いていた。

息子は最近「自分と同じぐらいの体の大きさのやつは、絡むと遊べがち」ということを学習したので、女の子にも遊ぼう遊ぼうと絡んでいく。

女の子のほうもまあまあ社交的だったので、石や枝を拾っては息子に渡していた。

女の子の洋服にはいたるところに彼女の名前が書いてあって、耳なし芳一みたいだなとちょっと思う。

 

息子は女の子と別れたあとも、石を見つけるたびに「あのお友達に、会いにいく・・・?」と聞いてきた。

あれみたいだね。家の中に置いてあるマグカップ見て元恋人のこと思い出すやつ。

 

ひとしきり遊んだあと、私がおばあちゃん欠乏症になったので、この間一緒に遊んだ近所のおばあちゃんの家に遊びにいく。

おばあちゃんは私たちのことを忘れていたし、さっきまで寝ていたらしくて、めっちゃ不審な顔をされたが、お花をあげたし3歳児もいたのでことなきを得た。おばあちゃんの家にめちゃくちゃあったミニカーをもらって息子はご満悦だった。

あのおばあちゃんのことがすごい好きなので、今後も仲良くしていきたい。毎回忘れられて、毎回同じ話するけど。

あげたお花は、「まあ可愛い」と受け取ってくれたのに、ガレージに置きっぱなしにしていた。いつかしおれた花を発見して「まあ汚い」と言って捨てるに違いない。

 

帰り道、息子は疲れて歩けなくなり、私がおんぶして帰った。

おんぶしながら「ご飯何食べたい?」と聞くと、「キャベツ」と答えたので、ご飯はトマトリゾットとキャベツの甘酢漬けにした。

が、息子はおばあちゃんからもらったミニカーで遊ぶのに夢中で、全然食べなかった。

 

 

今週は武田百合子の『富士日記』を読んでいる。きょうの文章が抑えめなのは富士日記のパクり(全然パクれていませんが)。

去年の今頃に購入してずっと積読していたのだけれども、そろそろ読むか、と思って読んでみたらめちゃくちゃ面白い。こんなに純粋な気持ちで「面白い」と思えたのは久しぶりなので嬉しい。もう武田百合子日記文学は終わりでいいじゃん、という、名作を読むといつも感じる例の気持ちに包まれる。

 

給料が入ったので、本を2万円分買った。15冊ぐらい。紙の本が読めたらもっと安くで色々な本を読めるのだけれども、紙の本をじっくり読むような心の余裕がない・・・。

 

今の積読の数は47冊。積読は大体60冊ぐらいあると安心できるので、ちょっと不安。

でも大丈夫、私の積読には『太宰治全集』が入っているからね。困ったら青空文庫もあるし。