モンゴル出身のママ友(1歳児持ち)ができたのだが、「モンゴルの友達から、9ヶ月過ぎたのに子供が歩いていないのか? と聞かれる」と言われた。遊牧民を感じる・・・。
王貞治って3歳とかで立つのもやっとって感じだったらしいけど、やっぱり王貞治はモンゴルに生まれ育っていたら野球選手としてあれだけ活躍することは難しかったんだろうか?
ママ友とは「近所のドラッグストア、日曜日はポイント3倍なのでヤバい」という話だけで1時間ぐらい語り合った。喋っている間は「ここで人生が終わってもいい?!!?」ってぐらい楽しかったのだけれども、家に帰って冷静になってみると、私はそのドラッグストアのポイントカードを持っていない・・・。
児童館で本を借りてくる。先週借りた『めっきらもっきら どおんどん』は、息子が1日3回ぐらい「読み聞かせてくれ」と言うので、もうAmazonで購入。
という話を児童館の人にしたら「いいですよね〜、ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」と言われた。
めっきらもっきらが好きっていうのと、ぽぱぽぴが好きっていうのは、全然ニュアンスが違うんだよな・・・と思ったが、面倒なので「は〜い」と言う。
どう違うかというと、それは以下のリンクから見ることのできる表紙の絵から推察してください。
今週借りたのは長新太の『へんてこ へんてこ』とモーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』。名作しか借りないという強い意志を感じるチョイス。
実は長新太持っていなくて、初めてトライしたんだけど、すごい面白かった。息子は「別に」という感じだったので、なんでだよ・・・と思う。母は好きなので、個人的に集めます・・・。
借りているときに、受付のおばちゃんが「長新太さん、最近亡くなっちゃってねえ」としみじみ言っていた。あ、そうなんだなあ・・・と思って家に帰ってから調べたら、長新太が亡くなったのは2005年で16年前だった。
まあ直近1年より前って全部ヤンワリと「最近」ではあるね。
きょうも近所の和菓子屋に行ったけれども、なんと臨時休業していた。なんの理由で臨時休業したんだろう、まさか病気とかかな・・・と不安になる。「孫が遊びに来たのでめっちゃめちゃ遊んだ」とかであってくれ。
和菓子屋のおじさんと定期的に喋りたいので、早く再開したらいいな。
日本に引っ越してきて以来、カナダにいた頃のノリで人間と喋っているが、いまだに「ヤベえやつ」認定がおりないので、「違法では?」と指摘されるまでは見知らぬ人に話しかけていこうと思っている。
息子は最近プリキュアが大好きなので、デカい声で「私は・・・プリキュア!!!」と言いながらジャンプをしまくっている。
「私はプリキュア」と言うときは、キティちゃんのストラップみたいなのを絶対に持っていて、それがプリキュアの変身用の何か道具(あるじゃないそういうの)になっている設定。
あと、最近「トロピカってる」と言うようになった(今のプリキュア主人公の口癖)。
あと、「右から左にトロピカり・・・」という謎の決め台詞も言う。自分で考えたにしては語感がいい。まさか本当に天才なのか?
午後からはダラダラと本を読んだり、息子とジャンプしたり。ゲームの王国、面白かったのですぐ読み終わってしまった。面白い本はすぐに読み終わるという欠点がある。3000巻ぐらい続いたらいいのにね。
3時のおやつにクレープを食べたらお腹がいっぱいになってしまったので、夕食は食べないでいいや、と思ったのだが、夫が鯛飯を作っており、誘惑に耐えきれずいっぱい食べた。出来立ての鯛飯を「食べない」と言える人なんていないよね。
食べたあとはみんなで夜の散歩。ダイソーで息子のリュックや帽子を買ったところ、息子の脳が大興奮状態になってしまい、ちょっと失敗したな、と思った。
そのあとお風呂に入って寝かしつけをしても、30分おきに「お出かけいく?!?!」と起きる息子。結局起きる時間の朝3時までずっと30分おきに起こされた。夜の散歩は楽しかったが、もうしない・・・。
息子の育児。
ふと、自分はこれまで「息子がもしもマイノリティだったら」ということは結構想定してきたのだが、「息子がもしも、小学校のテストでどんなに頑張っても50点ぐらいを取ってくる、普通〜〜〜に勉強ができない子供だったら」ということはぜ〜んぜん想定してきていないことに気づいた。
私は人生で「勉強ができない子」というレッテルを貼られたことがないため、そういう子の対応にはめちゃくちゃ困るような気がする。
っていうか、勉強ができない子に対して、「勉強しなはれ」と言うべきなのか? なんかもうさっさと諦めて別の好きなこととかを見つけさせるべきなのでは?
っていうか、本当は3歳とかの時点、つまり今の時点で親がきちんとした教育をつけさせていたら、勉強ができない子どもなんて育たないのか?
もしも息子が別の親のもとに生まれていたら、「世紀の大天才」とかって呼ばれる人生を歩むかもしれない、子供のポテンシャルを最大限に出してやれない親ってゲボカスなのでは・・・? おい・・・? 「親だって人間! 失敗しちゃうこともある」みたいな言葉によって一番犠牲を強いられているのは子供・・・抵抗のできない子供・・・無力な子供を犠牲にしながら親がヨシヨシをしあう地獄のような光景・・・それに喜び勇んで飛び込む私・・・
みたいなことをぐるぐると考えていた。
息子、どうしたらいいんだ・・・。君の人生を絶対にハッピーなものにしてあげたい・・・。