夫婦喧嘩とその報告

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夫とけんか。解決にはいたらないまま朝をむかえる。

 

夫婦喧嘩は大抵の場合非常に根深いし、説明がめんどうだ。いろんなエピソードが絡んでいる。

 

今回のけんかで新しく出たトピックは、「憎しみの連鎖を、どちらか片方が意識して止めるのは不公平ではないか」ということ。殴られて、殴り返して、「おあいこね」となぜ言うべきなのか。

 

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わたしは以前、夫を傷つけまくっていた(メンタルが不安定で見捨てられ不安がつよく、罵詈雑言がかなりひどかった)。

夫はその期間に「わたしを愛し、信頼しても報われない」ということを学んだ。なぜなら、ひとたび不安定な状態になると、わたしは関係性の維持など考えずに夫を罵倒するからである。

 

これはこの通りだ。わたしは破滅的な家庭で強い見捨てられ不安とともに育ったので、むしろ関係性を破壊し尽くしてしまったほうが、失うものがなくなって落ち着く。

もちろん、夫はわたしの伴侶というだけなので、わたしのこういうメンヘラ性みたいなものをヨシヨシしてあげる義務はない。

 

そういうメンタルの激しい上がり下がりは、妊娠直前にいったん落ち着き、妊娠と出産でまた強くなり、息子が1歳半になるぐらいまで続いた。この時期にカナダに渡航し、友達を見つけたり、文章を書いたり、手に職をえたりした結果、わたしのメンタルはかなり落ち着くようになってきた。

 

そこで夫は、カナダに渡航した直後からずっと、「わたしが怒った時はそれに取り合わないか、怒鳴る。わたしが自分で機嫌をなおすまでは放置。たとえ夫が全面的にわるくても謝らなくていい」というルールで生きている。

 

たとえばきょうの喧嘩の発端は、朝、わたしがメンタルもフィジカルも疲れてぐったりしているところに、夫がいきなり5分ほどの動画を観せてきて、「この曲を聴いて何か気づいたことはある?」と聞いてきたことにある。

イレギュラーなタイミングでスマホを私たち二人が見たので、息子が怒って、そのあとの対応に苦労した。

とりあえず「正解」は言えたのだが、ちょっと疲れたので、「わたしの察する力を試すようなことをしないでほしい、疲れた」と述べたところ、「会話を盛り上げようと面白いことを言ってあげたのだから、その意図を汲んでちゃんと盛り上がれ」とイライラされた。

 

2年間の喧嘩はけっこう、こういう、「別にこの怒りそこまで不当じゃないだろ」みたいなものも多かった。わたしはそのたびに、わたしが悪いことをしたのだ、ということは十分に理解したうえで、すこしずつ傷ついていた。夫を息子の目の前で声を荒げるのもいやだった。

 

最近になって夫は、何か衝突が起こったとき、自分にも反省するべき点はあるか、考えてもいい、と思い始めているらしい。

 ただし、夫は、「あなたに対する以前のような対応では、悪いことにしかならなかった。対応をかえたら夫婦関係はとても良くなった。なので、逆ギレをするとか、取り合わないとか、そういう対応を基本的には続けていく」と考えている。

 

わたしたちは同じことをしている。暴力的な態度にでて、相手を黙らせている。主導権はこちらにある、より傷ついているのはこちらだ、と、マウントをとりあっている。

以前はわたしに主導権があったのを、今は夫がにぎっている。それは「変化」ではあるだろうが、「改善」ではない。

 

 

夫は、これからも、自分が支配する、という構造を変えようとは思わない、と宣言している。わたしはそういうときになぜ、支配される、という状況に甘んじなければいけないのだろう。わたしが支配してはいけないのだろうか。別に支配してもいいはずだ。

 

そもそも、そんな不健全な関係しか築けないなら、離婚すればよいのではないか、という指摘も当然にあるはずだ。

 

そういうわけで、今回の議題は、殴られて、殴り返して、「おあいこね」となぜ言うべきなのか、ということ。片方が急にガンジーみたいな気持ちにならなくてはならないのはなぜなのか。そういう、相手の「優しさ」みたいなものに依存して、夫婦関係を「改善」させることの歪さ。

 

まだ気持ちをうまく言語化できていない。感情に邪魔されているので、この文章も多分、客観的に、夫の側にもわたしの側にも寄り添った文章みたいなものが書けていない。本当はこういう怒りを飛び越えて、きちんと冷静な気持ちにならないと、夫婦喧嘩はおわらない。

 

わたしは夫に傷つけられて悲しかった。夫も悲しかったのだと思う。

でも、夫が悲しんでいたとき、わたしは彼の悲しみに対応したいと思わなかった。自分の加害行為に向き合いたくなかったからだ。

夫もそうなのではないか。

 

とても悲しかった。でもわたしが求めているのは、謝罪とか、罪を認めるとか、そういうことではない。つぐないでもない。わたしが同じようにまた加害をするということでもない。

淡々と、それなりに楽しくすぎる日々がよい。たくさんコミュニケーションをとって、それでも大きな衝突のない日々が過ぎてゆくのがいい。衝突があったら、逆ギレなどはせず、必要なら謝罪をするとか、そういうことを求めている。

 

夫婦関係はかがみだ。夫は歪で、わたしもまた歪である。どうやったらそういう、つつがない毎日を送れるのか、いつでも考えている。

そういうことを思う。