可愛いは作れない、正義だから

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午前中、息子と二人でダラダラ遊ぶ。ガレージの雑草を抜いて捨てようとしたところ、息子が「すてちゃダメよ〜、かわいそうよ〜」とションボリしていた。捨てずにガレージの端っこに置いておくと、「すみッコぐらしねえ」とニコニコ。お気に入りの雑草を手に持って、ずーっと大事にナデナデしていた。

 

一人息子なので分からないのだが、子供ってこんなに優しいものなのだろうか。

息子の可愛いエピソードいっぱいある。きょう、私が朝の3時ごろに起きようとしたところ、息子は一緒に起きてしまった。じーっと私のほうを見つめてから、小さな声で「おててにぎってて」と言ってきた。握ったら、しばらくニコニコしたあと、すやすや眠った。

 

産後、可愛い服装ができなくなったのは、息子がめちゃくちゃ可愛いから、というのもある。「可愛いの正解」といえるような生き物と一緒に生活していると、自分が「可愛いの正解」に近づこうとする行為がどれほど無為なのかがよく分かる。

「赤ちゃん肌」とかも諦めた。あれは無理。赤ちゃん肌は無理。どんだけレーザー打って金かけても無駄。

 

午後からは教習所の授業。大学生たちがたくさん座っていて、なんだか息子を見ているときのような、ほのぼのとした気持ちになった。

カナダから日本に帰ってきてびっくりしたのは、若者の服装がめちゃくちゃ韓国ファッションっぽくなっていたこと。派手な髪色の子がすごく多い。ピンクとか緑とか。原宿とかだけじゃなくて、マジの地元にもそういう派手髪の子が普通〜に歩いている。男の子も女の子も派手。むっちゃ可愛い。社会人になっても当然のように派手髪で生きていける社会にならないだろうか。髪の色で真面目度がはかれるとか絶対嘘だし。

教習所にもそういう韓国っぽい服装の子がいっぱいいた。ピンク色の髪の毛の子がいて、可愛いなーと思った。

 

多分最近また切りっぱなしボブ流行ってる? あれ可愛いね。

 

 

教習所の授業は面白かった。授業というものは大概なんでも面白い。日本語で授業を受けると、日本語なので意味が分かりやすく、自分の頭が良くなったように感じる。

 

授業が終わって帰宅。道すがら、免許を取ったらしたいことを色々考えた。今のところ、運転という行為が難しそうすぎるので、「右折とかしたいな」ぐらいの欲望しか出てこない。

 

夕食はほうれん草をゆでたやつ。飽きずにうまい。

 

夫と会話。「プログラミングを学ぶゲームがたくさん作られている。小学生でもそれなりのコードが書けて、かなり色々なことができる。将来的には、小学生でも簡単にロボットが作れるとかそういうところまで発展し、10歳児が作ったクソみたいにしょ〜もねえロボ、たとえば"みそしるが あついかどうかを 教えてくれるロボ"みたいなのが世界に溢れてしまうのではないか」という疑問を呈したところ、「ウン」と言われた。

 

夫と会話。「新しいiPadはすごく速くて賢いらしい。新型iPadよりも遅いパソコンを使っている人はザラにいる。前から思っていたのだが、"アラサーの彼女に4℃のアクセサリーを送ってドン引きされてしまう案件"というのは、"周辺を全てmacで揃えている上、ゴリゴリにスペックを積んでいて、仕事でガンガンそれらを使うオタクに、Dellの8GBのノートパソコンとかを与えてしまう案件"と同じだと思うのだがどうか。この質問は先の会話と直接は関係がない」と言ったところ、「ウン」と言われた。

 

夫と会話。「食洗機が家にやってきて以来、1日で家事にかける時間がマジで30分ぐらいになっている気がする。なんだかあまりにも家事をしていないような気がして不安だが、実はあなたがいっぱい家事をやっているのか」と尋ねたところ、「いや自分も全然家事をしていない」と言われた。ホッとしたが、じゃあ誰がいつ家事をやっているのだろうか。 

 

我が家の会話はいつもこういう感じで私が一方的にバ〜〜〜ッと喋って、夫が「ああ〜」とか「へえ〜」とか「いいね〜」とか「分かるわ〜」などの返答をしてくれるstyleで進むことが多い。いわゆる普通の夫婦である。