諸説 大人になりたくない問題

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あと1年半で30歳になるのだが、多分30歳になってしまったら「30歳、別になんもかわらね〜」とか「年齢でジャッジされないので生きやす〜い」とか「そもそも正社員で既婚子持ちの女、20だろうが30だろうが年齢ほぼ関係なく生きている節がある〜」とか「人生はサイコ〜」とか「宝くじで5億円ぐらい当たりた〜い」「宝くじに当たった上で、もう働く必要はないというのに、しょうもねえ仕事を続けて月収20万円ぐらいを得た〜い」「温泉いきた〜い」などとふざけたことを言い出すのが目に見えているので、センチメンタルなアラサーの心をちゃんと書いておきたい。

 

ハタチぐらいの頃に付き合っていた元カレ(11歳ぐらい年上)と、去年ちょっとLINEをした。その歳に「私ももう27だから」と言ったところ、「そんなに老けたの?! ちょっとビックリ」と返答され、普通にダメージをくらった。

 

どう考えても怒るべきタイミングで、落ち込んでしまうということはよくある。たいがい、その指摘が自分の中で未解決のとき。

私は結構そのとき「自分がアラサーである」「もう若さという価値を失いつつある」ということに対して不安を抱いていた。今もわりと怖い。

年上の人間が私のことを「知的だね」と称賛してくるときは、嬉しいなあと素直に思いつつも、同時に、「私が40代とかになったら、こういうことは言ってくれないんだろうなあ」とホンノリ不安になる。

 

私は権威を持った人から評価を下されるのが好きなのだろうな。強くて偉い人間から「お前は優秀だ」と断じられることに強い喜びを覚える。

(別に、生きていく上で、そういう称賛は何の価値もないのにね。それで年収が上がるわけでもなし・・・)

 

で、そういう人たちから評価を受けるときに、若くて可愛い、ということは非常に重要だ。若くて可愛い、その上、手に職がある。みたいなね。若くて可愛い、というのは、なんていうのか、評価を受けるためのベースみたいなものだ。このベースを満たしていないと、私たちは評価すらしてもらえないことが多々ある。

もちろん、それはアイドル的な「顔のつくりのうまさ」という意味合いではなくて、「可愛くあろうと努力をしている」とか「なんとなく可愛げがある」とかそういうことでいいんだけどね。「可愛げのレース」に参加している態度っていうか・・・。

 

 

30を目前にして、私は、なんていうのかな、これまで「当然のこと」みたいに享受できたそのベースラインがぐらつくのを感じている。評価されなくなるかもしれない、という焦りを感じている。

 

若くて可愛いからこそ私を評価してくれた偉い人に、「あなたの思う100点満点の女になれなくなってしまいました」と告げることの恐怖とか、

彼らに背を向けたあと、誰が自分を評価してくれるのかよく分からない、という恐怖とか。

 

もちろん、年齢を重ねて、そんなに美人でなくても、社会から評価されている女の人というのはたくさんいて、でもそういう人たちは全員、信じられないぐらい賢くて、ガッツがあって、強い。私はとてもあんな人間にはなれない。

 

若さ(/可愛さ)という、評価のベースラインを失ったあと、人間の質そのものとか、人生の質そのもので評価されるのが、嫌だなあ。私は人生を全然がんばってこなかった、マジでなまけてばかりいる。だから若さとか可愛さで誤魔化してきたのに。妊娠とか出産したのも、人生をなまける言い訳が欲しかったからなのに。どうしよ〜。

 

多分こういうことってみんな悩んでるんだろうな。15歳が「大人ウゼ〜」って呟いちゃうみたいな、微笑ましい悩みをやっている感じがある。

 

でも、ここまで突き詰めて考えたあと、ふと考えてみると、別に私、偉い男から見て100点満点じゃないかもしれないけど、普通に、何を悩むことがあるの、みたいな人生やってるんだよな。収入あるし、孤独感もないし、趣味もあるし。

 

これは、評価されたいというよりは、二次元めいた女の子でいたい、という、私の私に対する願望なのかもしれないな。現実離れしていたいというか・・・。みんなも二次元になりたいよね。私はなりたいよ。