きみはそれを嫌いだと言う

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昨日は徹夜明けだったが、夫が健康診断で、早朝から家を出る必要があったため、息子を幼稚園バスに詰め込むまでの朝の雑事は私がワンオペ。

 

徹夜明けのハイテンションになってしまい、息子が起きて幼稚園に行くまでの1時間、ずっと「排泄物のことしか言わないTDLのキャスト」の真似をしていた。でもTDLにそんなキャストはいないので、私は無を真似していたということになる。息子は途中、「オカアサンにモドッテ〜〜〜」と懇願してきた。5分ほど戻ったのち、また続行。

  

まあワンオペって言っても、息子は私と二人きりのときはわりといい子にしている習性があるので、そこまで大変ではない。

息子は親単体(父親だけ、母親だけ)と一緒にいるときはいい子なんだけど、親が二人ともいると泣きわめくということがある。どこまで甘えられるのか、グデグデになりながら確かめているのかもしれない。その気持ちは分かる。

 

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息子を送り出してから仕事をしていると、大家さんのおばあちゃんがやってきた。我が家は一軒家なのだが、ガレージの草むしりをしにきてくれたらしい。おばあちゃんが大好きなので、一緒に草をむしった。

 

おばあちゃんは手伝われると予想していなかったらしく、「本当に! 私は一人でできますからね!!」とマジの固辞。だんだんヒートアップしてきて「むしろ一人のほうが楽なのよ!!!」と叫ぶように告げてきた。これは固辞なのか? それともマジで私が邪魔なのか?  チンタラやってるからダメなのか??? と混乱してしまったので、「じゃあ・・・応援しますね」と言い、応援をした。

 

30分ほど草むしりをしたあと、おばあちゃんは最終的に、ガレージ中にめちゃくちゃ除草剤をかけて、帰っていった。

車で帰るおばあちゃんを見送りながら、おばあちゃんの車がBMWであることに気づいた。

 

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午後、仕事を切り上げて教習所へ。睡眠時間1.5時間だし多分絶対良くないのだけれども、技能教習をした。いい大人がすみません・・・。左折の練習をモリモリした。

 

教習所のおじちゃん先生と喋りながら運転をしていたら、話の流れで先生から「趣味とかあるんですか」と聞かれる。「あ〜私ものすごいインドアなんですよ〜、映画みたりとか」と答えると「いいですね。私も最近だと、ミッドサマーを3回みました」と言われる。

 

えっ?! ミッドサマーを?! 3回?!

 

「ミッドサマーって、500日のサマーとかじゃなくて、アリ・アスターのミッドサマーですか?」と聞くと、「そう。ディレクターズカット版も観に行って」と誇らしげに言われた。ディレクターズカット版も観にいくのはガチすぎる。

 

その後、先生によるミッドサマーここが面白い話を聞き、私も「あそこはよかった」「ここもよかった」などと返し、盛り上がっているうちに、先生がポロリと「僕はね、本当は車ってそこまで好きではなくて・・・」と呟いた。

 

目の前にいる人間は、先生なんかじゃない、おじちゃんなんだ・・・と妙に感心してしまう私(先生ではある)。

 

このクソ田舎で、ミッドサマーを愛し、劇場に何度も足を運び、好きでもない車を毎日毎日運転するこの男、なんて味わいがあるんだろう。素敵だ。

 

左折はダメすぎたので落第した。ミッドサマーに動揺したせいだと信じたい。

 

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授業も受けた。

担当だった先生はお喋りを愛しているので「人を車で殺してしまって、1億円払えって言われたらどうします?」と、生徒に聞いてくる。嫌な合コンの質問みたいだな。

私も当たった。間髪入れずに「内臓全部売る?!」と言ったところ、丁寧に内臓の価格を教えてくれる。1000万円ぐらいにしかならないのではないか、とのこと。この知識、全然いらねえな・・・としみじみ思った。

 

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帰り道、歩きながら小説のネタを考える。なんか蒸し暑いのでエロい小説が書けそうだな、と思い、色々考えていた。

日本の5〜6月、ジメジメムシムシしていて「外に出ても全然爽やかな気持ちにならない」という特徴がある。この外気の感じ、絶対日本の創作者のメンタルに影響している・・・。

 

私は短編小説ばっかり書く。

短編小説なんて書いても、賞に応募ができない。賞に応募ができないと、見つけてもらえないから、プロとして書くことは難しい。本当は長編小説を書くべきだ。でも、最近は、もうなんか別に良くないか、と思うようになってきてしまった。

 

短編小説の技巧と長編小説の技巧はかなり違う。長編小説はむしろ「書かないこと」をいかに緻密に決めるかが大事だし(設定とかキャラの背景とか)、あと、プロットの作りとかも勉強しなければいけない。10万字前後の文章を、齟齬なく「一つの物語」として構築するためには、勉強することがそれなりに多い。

 

一方、短編小説は歌詞に近い。

短編小説で求められるのは、瞬間的なエモさっていうか、どれだけ短時間で他者を感情的にさせるかということだ。読む側も手軽にエモを手に入れたいと思っているし。

あと、キャラクターの設定を煎じ詰めなくても、わりと意味が通る感じで書けてしまうところがある。何も考えなくても、出たとこ勝負で書き始めても、わりといけちゃうところがあって、だからものすごく楽だ。

 

歌詞に近い、と言ったけど、音楽の歌詞だと、音とか演奏とかダンスとか歌い方・演奏の仕方で、よりいっそう「エモ」を届けられるところがある。

だから短編小説を書くとしたら、「なぜ歌詞じゃなくて小説なわけ?」という疑問に対するアンサーを出さないといけない。そうじゃないと、「あんたの陳腐な小説(笑)より、ヨルシカ聞いたほうがいいですよ」という結論になってしまう。

 

私が歌詞じゃなくて小説を書くのは、「書くことしかできないから」じゃなくて、小説という静謐なメディアでなければ伝えられないエモがあるからだ、と信じたい。

 

「才能があったら映画とか漫画とか音楽のほうがいいなと思うけど、書くことしかできないから書いてます」みたいなのは、態度としてダサいなと常々思っている。ダサくない?

 

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夜、姉とLINE。姉はかなり長い間京都に住んでいたので、関西のノリで会話をしてくる。これは会話に「おもしろ」成分を入れないと死んでしまうという意味。私は関西で生きていた経験が8年しかないので、姉がおもしろ写真とかをバンバン送ってくるのに対して全然おもしろコメントが入れられず、素朴な「苦慮」の感情を知った。