先週読んだ本
フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』
神崎宣武『社を持たない神々』
萱野茂『アイヌと神々の物語』
育児関係
林成之『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!』
青空文庫
谷崎潤一郎『人面疽』
魯迅『狂人日記』
中島敦『狐憑』
中島敦『文字禍』
芥川竜之介『桃太郎』
太宰治『ア、秋』〜『右大臣実朝』までの23作品
太宰治、全然読んだことがなかったのだが、普通に面白いのでウケている。ヴィヨンの妻めちゃくちゃいい。生活ってこういうこと。被害者の加害者性。
1936年ぐらいから書いてて、死んだのがその12年後の1948年か。
っていうかなんか、めちゃくちゃ読みやすいのでびっくりする。
夏目漱石とかもめちゃくちゃ読みやすいから毎回ウケるけど、太宰治はさらに読みやすいのでめちゃびっくりする。
谷崎潤一郎の『人面疽』、1992年生まれの若い読者なので、どうも姫野カオルコの『受難』を思い出してしまい、「この人面疽がだんだん移動してきて、ついにはまんまんに来るわけか・・・」とか思いながら読んでいたら普通に位置固定だったので驚いた。
常設の人面祖。
一般受けしない江戸川乱歩みたいだった。これなんか、昔出席していた小説講座で「読め」と言われたから読んだんだけど、なんで読めと言われたのか完全に忘れてしまったな・・・。
萱野茂『アイヌと神々の物語』、面白かった。民話系は全部面白い。
しかし、ちんちんを女神に取られちゃった男とか、時々めちゃくちゃキャッチーなやつがシレッと入ってきて、そればかりが頭に残ってしまった。
『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!』
「結局お父さんは、お母さんの育児には叶わない」みたいなことを言っており、まあ今の40代ぐらいのお母さんにはこういうの刺さるのかもな・・・と思った。
育児を完全にイーブンにしてみて思うのだが、父親だから育児に向いていないとか、母親だから育児に向いていないとか、そういうのってないと思う。人間は体力がなくなるとキレやすくなるので、そういう意味でいうと、父親のほうが母親よりも育児に向いているということもあると思いますよ。単に社会的に母親が育児することになってるだけ。絶対そうです。
こういう「育児セミナー」みたいなのに出席したがる親、もともとめちゃくちゃ「子どもをガリ勉にさせたい」という熱意が強い、ワンオペ系っていうか、父親には頼れない系の、しかもお母さんが多いんじゃないのかな。
そういう人たちが聞いていて気持ちいいような言葉を選んでいる気がする。
育児っていうのは、親がどんな状況で育児をやっているかっていうのが、かなり大きな要素をしめていると思う。
たとえば、「私はこの方法で育児に成功しました」って言ってる人がいたとして、その人の実家が太くて、夫の年収も1億ぐらいあって、その人自身も手に職があって、頼れる友達も多くて、メンタルも安定してて、とかだったとするじゃん、
じゃあその人が使った小手先のテクニックを、
実家頼れない、夫の年収500万円、私は無収入、手に職なし、子どもなし、毎晩夫婦喧嘩してる、的な属性の人が真似したとして、同じ結果は得られないと思うんだよな。
もちろん参考にできる部分はたくさんあるとは思うけど。Iメッセージとか(Iメッセージはマジでうちの子に有効)。
子ども4人を東大に入れた母親の本とか読んでも「とにかく仕事は辞めます」「0歳のうちに、厳選された絵本を200冊買います」みたいなことが書いてあって、これって育児のテクニックというよりは、「金にもの言わせたった」のサンプルだよなと思ったし・・・。まあ4人産める時点で金持ちなのは当然なんだから、読者が察しろということなのかな。
要するに何かっていうと、夫婦ふたりでイーブンに育児をしていて、男とか女とかないよね、という家庭環境で育てている人向けの育児書がないんだよな。「基本的に、男なんて使えないですよね」みたいなスタンスで書かれた本を読んでは、よく分かんなかったなあ、と思い続けている。不安。これでいいのだろうか。多分いいはずなんだよな。はあ。