埋めてよ、それを人生と言って

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使っていた安いスマートウォッチが物理的に壊れたので、Apple Watchを購入していたのが届いた。わ〜い。

スマートウォッチなんて使いこなせる気がせんなあ、と思っていたのだが、安いスマートウォッチを2ヶ月ほど使ってみて、すっかり「ないと不便」と思う体になってしまった。いいですよ、スマートウォッチ。腕見るだけで分かるので。時間。

 

しかし、予想していたよりも電池の消費が激しい。1日充電しないと充電切れになっちゃうっぽいね。私は朝のアラームとしてスマートウォッチを使いたいので(普通の音が鳴る目覚ましだと息子を起こしちゃうから・・・)、夜はつけっぱなしにしておきたいんだよな〜。いつ充電したらいいんだろう。

 

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朝、息子にプリキュアを見せながら、ササササーッと彼の爪を切る。息子は先月ぐらいからアニメを見ているときだけ、爪切りで爪を切らせてくれるようになった。

それまでは、爪を切られるのは痛そうだから嫌だ、という理由から、爪やすりでしか爪を短くさせてくれなかった。爪やすりも、片手が終わったあたりで嫌になってしまい、「左手はもう長いままでいい」みたいなことを主張してくるので、結構困っていた。

 

こうやって、大丈夫なことが増えていくんだねえ。そのうちきっと、血液検査で血を取られるのとかも、平気になったりしていくんだねえ。血液検査で血を取られても「まあ必要なことだから」って言える息子とか見たら、ああ子育てはたいがい終わったなあって思って感慨深いんだろうな・・・。

 

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血液検査といえば、献血にちょっと興味がある。7月、献血に行ってみようかなあと考え中。

献血って皆さんしたことありますか? 私の周りは結構したことある人が多いんだよな。

血液検査はあんまり好きじゃないんだけど(好きな人っているのかな)、こんな私でも献血はできるのだろうか・・・。

献血をキメたことがない人生、チェックリストが埋まってないよって感じがする(私の人生の行動原理は"人生にチェックリストがあるとして、そのチェックリストを大体埋めたと思ってから死にたい")。

献血を10回するともらえるお皿みたいなのが可愛くて、欲しい。でも10回もできる気がしない・・・。

まあ、できるかどうか、痛いかどうか、つらいかどうかは、行ってみないと分からないので、7月行ってみて、聞いてみるんだ。

 

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ところで、この「人生にチェックリストがあるとして」理論、私、結構長い間、みんなそうやって人生を生きてきているんだろうなと思っていたのだが、別にそうではないらしいんだよな。

結婚をしたときも、妊娠したときも、出産をしたときも、海外移住をしたときも、「ああ人生のチェックリストが埋まってきたぞ」という感慨で嬉しかったんだよな。昭和の時代って「人生すごろく」みたいな言葉があったじゃん。そういう感じで嬉しかったんだよ。感覚が古いのかもしれないな・・・。

26歳ぐらいのとき、友人に「ボンヤリ生きすぎていて、チェックリストが全然埋まらないから・・・」という話をして、ハテナの顔をされた。

友人のその顔を見た瞬間、あっ!! これは自他の境界が曖昧になりがちな私の悪い癖が出たぞ!!! とめちゃくちゃ恥ずかしい気持ちになったのを覚えている。

 

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先日、友人から「あなたのことが恋愛対象として気になっている」とLINEで言われて、うーん、と思って、既読無視をしてしまっている。

カナダにいるとき、私も、めちゃくちゃ気持ち悪い片思いをしていたので、気持ちはすごく分かる。

でも、日本に帰ってきたら、日本ってなんか、色々できることがあって、まずそれを片付けてから、その上で、自分がしたかったら恋愛をしたい、という気持ちになってしまう。

今はとにかく、免許取って、資格とって、里親になって、自分に自信が持てる仕事をどんどんして、子供を育てて、本を読んで、お金を稼いで、それこそ人生のチェックリストにチェックをつけまくって、もっといい人間になりたい。

恋愛って、わりとフルコミットの事業なので(私はフルコミット型の恋愛しかできないので)、そりゃあまあ、得ることも多くて面白いんだろうなあと思うけど、大変なのはもう確定している。

今、私がやっぱり頑張りたいのは、家族を作ることと、自分を高めることなんだよな。私の形を変形させたいというか・・・。意味わかる? 家族を作るのって、自分が変形することって感じがしない? これまで持ってきた自我をボキボキにおりまくって、でもおりきれない場所が絶対にあるから、どこでシックリくるかを探すっていうか。

 

そう考えてみると、私は20代で、ずっと、家族を作りたい、自分を高めたい、自分の形を変えたい、と奮闘していた気がする。

キラキラしてなくて、嫌だったなあ20代。もっと資本主義的に認められるように頑張ればよかったといつでも後悔している。今もわりと思う。年収1億円とかになりたかったもんな。

でも、まあ、結構いい家族が作れたのはそうだし、年収1億円の暮らしと、今のウキウキ家族は両立できなかっただろうし、まあ、別に「こっちを選んでもそれはそれで良かった」と言っていいんじゃないか、と自分に許しを与えたいな、とも思うんだ。

22歳で結婚したとき、早くない? っていろんな人から聞かれたけど、やっぱり私は、今の夫を選んで本当に良かったと思う。

 

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夫と保険の見直しをする。

夫から「あなたは絶対に長生きする、100歳もワンチャンありうる、終身の保険に入るべき」と力説される。私もニコニコしながら、そうねえ〜と言いつつ、やっぱり掛け金が安い保険を続行。

長生きするだろうっていうのは、夫の願望じゃないのかな、と思った。我が家、血が繋がってる人間で、100歳超えてる人いないんだよな。たいがいみんな70〜80歳ぐらいで死んでいるよ。

父方の曽祖母は104歳ぐらいまで生きたんだけど、曽祖母と祖母は血がつながっていないので、カウントに入れづらい。祖母は戦争で捨てられてて、それを曽祖母が拾ったんだっけな? なんかそんな感じのことを聞いたことがある。

 

私が「自分は認知症になる気がする」と言ったら、夫はエーと言ってた。まあ、認知症になるかもなと思って生きてたほうが、絶望しなくてすむから、よくない?

なんだか全然分からなくなった世界で、それでもやっぱり夫と息子が最高だぜ、と思っていたいね。家族の自慢ばっかりする認知症ババアとして死にたいものだな(理想の死、色々ある)。