ビコーズ・オブ・ユー

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昨日は里親研修に夫と赴く。

私の親に家まで来てもらって、息子を1日見てもらっていた。そんな依頼をするのは初めてだったので、親側も私たちがわもおっかなびっくりという感じだった。

が、息子が「この世の大人は全員いい人」と思っているのでなんとかなった。いや〜、この3年間、なけなしのコミュ力を総動員して育児やってきておいてよかったなあ・・・。

 

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里親研修、新規の知識は全く得られなかったのだけど、聞いてみてやっぱり、里子を迎えるのは第三子以降だな、という気持ちが強まる。そういうわけで、今のピルが終わったら妊活習慣に入るぞ。嫌だねー妊活、したくないねー通院(最悪のサマージャム'21)。

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なんで第二子ではやめとこうと思ったかというと・・・。

研修中に、第一子が実子で、里親になった家庭の体験談みたいなのがあったのね。

そのケースでは、第一子が4歳のときに、第二子を里子で迎えたらしいんだけど。

「実子と親とが一緒になって、里子を支えた」みたいな言葉があって、これは絶対にダメだなと思った。私は息子をヤングケアラーにしたくないんじゃ。子供らしい子供時代を送らせてあげたい。

私は5人兄弟で育ったんだけど、わりと「みんなのサポート」をする役割だったり、調整弁として働くっていうのか・・・親の心のケアとかをしてあげることが多かったんだよな。

親のケアをしてあげる自分のことがとても誇らしいと当時は思っていたけど、考えてみたら、あんなことする必要はなかったし、痛々しかった。人との距離感がめちゃくちゃになっちゃったし。

私はラッキーだったから夫と出会えてなんとかなったけど、全ての人間にあの手のラッキーが起こるわけじゃないのでは? と思うと、やっぱりまあ、子供は子供らしくいられるのが一番いいよ、と思う。

 

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それから、以下で、里親研修を受けて考えたこと二つ話す。

でも、どう考えても、めちゃくちゃ不愉快に思う人がいると思うので、うーん、もし不愉快な文章だなあ、と思う人がいたら、うーん。ごめんねと思う。私も考えている最中で、ちゃんとした答えが出ていない。ディベートしたいとも思っている。

 

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一つ目ね。

なんかね。

虐待を受けてきた思春期の子供を、里子ちゃんとして迎えた里親の話があったのね。

虐待を受けた子は一般的に「自分で決める」ことが極めて不得手で、自己肯定感が低いじゃない。その里親さんも、一緒にいる中でそういう状況が改善していくことに、満足感とか達成感を覚えるよ、みたいな。まあ、あるだろうなあ、いい話だなあ、みたいな。

 

でも、帰路にボチボチ考えてみたんだけど、実際、そういう満足感と、以下のようなエロゲをプレイして得られる「充実感」って、どう違うんだろう。

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なんていうのかな。「救う」ハードルがめちゃめちゃ低い感じっていうか・・・。

「衣食住を与えてくれて、殴らないで、勉強をサポートしてくれて、好きなものを買ってくれる」、ただそれだけの、正直いうと当たり前のことをするだけで(里親って毎月14万ぐらいお金でるし、塾代とかも出るから、里親の金銭的負担って案外少ないし)、無償の愛情をもらえるじゃん。

 

なんかねえ。

なんか、どうなんだろうなあ、と思ってしまったのよ。

 

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もちろんね、育児なんて、そもそも「当たり前のことしただけなのに滅茶苦茶感謝される」ことではあるんだよ。

産んだら虐待しないように頑張るのなんて当然(であってほしい)し、子供が親のことを(つまり、取り立てて優れた人間とはとても言えないようなヘッポコ野郎である親のことを)、この世で一番重要な人間として認識し、強く愛するのも当然のことなんだよ。

 

でもね、なんかね、うーん。

 

なんかね、「かわいそうな境遇の子供を引き取って愛する」という行為には、なんだかほんのりと、薄暗い、承認欲求の成り損ない、みたいなものが蠢いているような感じがして、私はとても、嫌だなあと思ったよ。

 

嫌な物の見方だなあ。我ながらこういう物の見方は嫌だなあ。

 

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で、二つ目ね。

やっぱりね、不妊治療ダメでした系の人たちはね、「まず不妊治療のトラウマを治してから考えてほしい」と思ってしまったよ。

だってね、なんかね、里親なんて、本来いなければそれが一番いいじゃん。

親が育児を放棄するなんて、本当は起こらないのが一番いいんだよ。

不妊治療で「子供が欲しい人」たちがしていることって、「捨てられる子供が増えてほしい」と願うことでしょ? マジでどうなの? 私はそういう祈りを、端的に、身勝手なクソ野郎のクソみたいな願望だ、と断定したいよ。

里親になりたい人たちが本当にするべきことって、たとえば地域の子供たちに優しい目を向けたり、新生児をお世話するお母さんに優しくしたり、妊婦さんに優しくしたり、ピルを普及させたり、性教育を広めるための運動などを続けたりして、虐待や望まない妊娠を未然に防ぐことでしょ。

里親制度って、大人のための制度じゃないじゃん。

そりゃあ、不妊治療滅茶苦茶頑張って金も積んだのに子供ができなかった、どうしても子供を育てたい、みたいな気持ちはよく分かる。

でも、それとこれとは全然別の話じゃん。不妊治療のトラウマって、里親制度の話と全然関係ないじゃん。少なくとも子供とのストーリーにおいてはそんなこと全然関係ないよ。どうでもいいよ、かつてあなたが愛したかった、あなたの子宮で育まれる予定だった知らない誰かのことなんて。中学時代の元カノに拘泥する40代夫か? ってぐらい、クソどうでもいいんだよ。

 

あと、新生児を引き取りたい、なるべく早く引き取りたい、と希望することも、どうなんだ、と思う。

我が子を里子に出す女性は、里子に出すかどうかを、きちんとした判断のできる心身状態と、十分な情報とともに決めるべきだと思うんだ。そうしないと、その後また子供を産んだとしても虐待してしまう可能性が有意に高まる、みたいな内容の文章を読んだことがある。

私が親になるんだから、さっさと引き取りたい、みたいなのって、あまりにも勉強不足だろ、と思うよ。将来の虐待を引き起こす可能性について、全然どうでもいいんだろうか。

子供が自分のルーツを大切に思う、そのためにも、生みの親がきちんと生きていってほしいと思い、そのサポートをするのって、ものすごく重要なことだと私は思う。でもこれは日本の特別養子縁組制度ではまだ難しいということもある。

 

なんかね、里子って、我が子じゃないんだよ。自分の子宮経由で生まれてきたわけじゃないんだよ。複雑なルーツを持って育つんだよ。

言い換えるなら、里子である時点で、100パーセント、絶対に、心のケアとか、親側の特別な知識が必要な子育てが必要になることが確定してるんだよ(これが、第二子での里子を我が家が諦めた理由。今いる息子をないがしろにする可能性がかなり高いから)。

だから、なんか、自分が不妊治療うまくいかなくて辛かったとか、そんなこと今どうでもいいよって思ってほしい。そんなことはカウンセリングとか行って解決してほしい。

メンタルが不安定な人間に、特別なニーズが必要な子供を預けることの危うさについて、もっと真剣に考えてほしいし、勉強してほしいし、きちんと自分の「問題」について自覚的であってほしいし、「問題」の対処法を理解しておいてほしいものだ。

なぜなら、それで傷つくのは子供だから。