カウンセリングに行った日

昨日はカウンセリングに行った。

カウンセリングって別に、なんか新しい知見が得られるとかそういうわけではないんだけど、それでもやっぱり「自分の向き合いたくない側面に触れる機会を持つ」ことの重要性っていうのかな。そういうのがあるなと思う。あと、色々考えていることを喋っても罪悪感がないし。

まあまあそこそこ高いけど、続けていけたらいいな。

 

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下園壮太さんの著書を引き続き読む。著書がめちゃくちゃ多いので、どれを読もうかなあという感じ。

 

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カウンセリングを受けるにしても何にしても、

別にハタチの頃とかに比べたらメンタルは安定しているんだよなあと思っていたし、だからこそ、そこまで「治療」する必要性とかは感じていなかったんだけど、

考えてみると、アンガーマネジメントについての本とかを読んだのも今年に入ってからだし、自覚的に「感情をコントロールする」ことってこの28年間、そこまで真剣には考えてこなかったんだよな。

 

本を読むと、そのつど新しい知識が得られるし、感情のコントロール方法も上手になる。自分の過去もきちんと言語化して考えられるようになる。今までの「自分はメンタル安定している」という気持ちはなんだったんだろう・・・と思う。イライラしたときにその鎮め方が分からない人生、メンタルが安定しているとは言えない・・・。

 

まあ、28歳の今、第二子とかを考え始めた今だからこそ、きちんと自分の感情をコントロールするぞ、とモチベーションが出てきたんだろうなあ。

 

昨日のカウンセリングでは、子供を産んだのは不純な動機からだったんですよね、という話をした。当時は無職だったから、無職でも、育児をすることで"無職の理由"を作りたかった。あと、お母さんって、手に職がなくてもいいし。

でも、結局、子供を育てることは楽しかったし、子供が生まれたからこそもっと人生頑張るぞと思ったし、わりと結果オーライみたいなところがある。

カウンセラーの人は、結果オーライなら結果オーライでいいのだ、と言っていた。そうなのかもしれない、とも思う。

 

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先日の里親研修、夫と二人で1日過ごしても、全然疲労が出なかったことを考えるにつけ、やはり育児をしていると、特殊な体力の使い方をするなあ、と思う。

 

あと、よく「若いうちに子供を産むと、子供が子供を育てることになるからダメ」みたいなのあるけど、あれは全然違う。

幼児の人生を預かることでしか身につかない能力みたいなものが確実にあるんだよな。40歳で産んでも、20歳で産んでも、子供に対する忍耐力のなさって似たようなものだと私は思う。

 

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きょうはそんな感じ。