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ウキウキdaysの詳細です

処分する

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新しい家に引っ越してきてから、もうすぐ1週間。

前の家には、義理の実家の人間が持ってきた、大量の(本当に大量の、押し入れがパンパンになってしまうほどの)布団なんかがたくさんあって、収納はほとんど、あってなきがごとしだった。

引っ越しを機に、義理の実家から送られてきた不要なものはたくさん捨てた。

今は家の中に、必要な分だけしか物がない。まっさらな備え付けの棚には、私が好きな本だけがずらりと並んでいる。

私はそれがとても嬉しい。

 

***

 

義理の実家の人間は、たぶん、ものを捨てることに強い罪悪感を覚えるのだろうな、と思う。

「これも使うよね?」と言って彼らが渡してくれたジップロックには、割り箸がみっちりと詰まっていた。詰まりすぎて、ジップロックは口が閉じられない。

新品の割り箸なんかではもちろんなくて、全ての割り箸には、ありとあらゆるご飯屋さんのロゴがプリントされている。中には包み紙が黄ばんでいるのもある。

 

彼らが帰宅したあと、何の躊躇いもなく割り箸をゴミ箱に投げ捨てる。しばらく考えてからゴミ箱を開けて、ジップロックだけは「プラごみ」の袋に入れる。

「いいことをした」と私は思う。

 

「義理の実家の人は、もう使わないけど捨てられないものを、気分良く手放すことができたんだよね。で、私たちが、労力とお金を使ってその処分をする」

「彼らが死んだ後に処分をするとなると大変だものね。生きている間に処分させてくれて、ありがたかったと、そこを感謝するべきなのかもしれないね」

 

夫にそれを言うべきか、少し迷ってから、やっぱり言う。「そう思う?」私が聞くと、夫はやるせない顔で「分からない」と言った。

 

***

 

義理の実家の人間たちが置いていった大量の荷物をじっくりと眺める。

壊れたコタツ、壊れた棚、ネチョネチョになった子供用のおもちゃ、10センチぐらい残った鉛筆。

私は自治体の粗大ゴミ回収センターの住所を調べる。燃えるゴミで出せそうなものは袋に詰める。

いいことができて、人に優しくできて、本当によかった。私はとても優しい気持ちで、次の可燃ゴミの日を調べる。

 

***

 

夫はきっと悲しい。でもじゃあどうするかって、多分どうしようもない。

新しく買ったこだわりの寝具があるのに、それを差し置いて、カビくさい敷布団なんて使いたくない。新品のカラーボックスがあるのに、壊れたニトリの棚なんて使いたくない。割り箸も使わない。

夫は、夫の実家の人間の気持ちを尊重なんてしたくない。だって今、彼と一緒に暮らしているのはこの私なのだ。24時間一緒に生活する敵。どうして、そんな存在をあえて作り出さないといけないのか。

 

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不要なものを誰かに押し付ける行為は楽しい。それはえてして、罪悪感を誰かに肩代わりしてもらう行為だから。

問題は、押し付けた側は、「罪悪感を肩代わりしてもらった」という自覚がないところだ。いいことをしてあげた、と思っている。きっと彼らの脳裏には、駄菓子を与えれば狂喜乱舞した5歳の我が子の姿が、こびりついて消えないのだ。

そういう、甘やかで幸福な記憶が、黄ばんだ割り箸の価値を担保する。

 

***

 

義理の実家の人間たちのことは、別の国の人間なのだ、と、本当は思いたい。

私たちよりもずっと因習を重視する、法律よりも常識を重視する、年齢が高い人間はいつでも圧倒的に偉いと考える、そういう国から来た人間。

そういう彼らの生き様を、別に、さげすんだり、かわいそうに思ったりする必要はない。

彼らはそういう人間なのだから、「私と同じ常識を持たない」と怒ってはいけない。

 

***

 

義理の実家の人間が、息子を危険にさらす。「昔は誰でもしていた」と言う。昔は誰でもハチミツを食べていた。昔はシートベルトもチャイルドシートもしなかった。昔は日焼け止めなんて塗らなかった。昔はお金のことなんて考えずに何人でも子供を産んだ。

 

彼らは本当にそう思っているのだ。それは無知とか、かわいそうな老人たちの戯言なんかではない、彼らにとっては本当に、事実そうなのだ。アップデートがどうとか、ニュースを読めとか、勉強しろとか、それは自分たちの価値観こそが「正しい」のだと考える、傲慢な人間からの、無価値な押し付けである。

 

多分きっとそうなのだ、と、私はそう思いたい。

 

***

 

義理の実家の人間に、私と同じ「常識」を期待するのをやめる。とても優しい気持ちを、胸の中いっぱいに染み渡らせる。それから、どうか、私たちの国に入ってきてくれるな、と思う。私たちの国では、子供はチャイルドシートに乗らねば違法なのだ。

私は優しい気持ちで彼らのLINEをブロックする。夫にも「私は彼らと連絡を取りたくない」と言う。「私が我慢するだけならまだしも、息子の命を危険にさらしたくない」と言う。それはとても優しい気持ちで執り行われる。

 

いいことをしてあげた、と私は思う。私は彼らに、私の国の常識を押し付けることを、もうやめた。

 

私の気持ちを理解しろ、と怒られなくなった彼ら。

私の息子を殺してしまう可能性から永遠に逃れることに成功した彼ら。

それって、なんて幸福なんだろうか。

 

私は廃棄する。私は処分する。私はゴミ袋を満杯にする。

「人間の情がない」と怒られるとき、私はマゾヒスティックな喜びを背後に、「ないですよ」とだけ答える。