立腹せよ2021

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なんだか9月に入ってから心がフワフワし、ちょっとした刺激で落ち込んだり浮かれたりしている。落ち込むのも浮かれるのも、自分でコントロールできないという点では同じ!! 自分で自分に疲労している。

 

このフワフワは、FP試験が終わったあたりから急に勢いが強くなってきた。

 

理由はまあ宅建が、「受かりそうもないな〜」だったのが「ワンチャンある」に変わってきたからで、

さらにその「ワンチャン」というのが「ゴリゴリ勉強すればなんとかなるが、今のペースだとダメそう」という条件におけるワンチャンだから。

つまり「今の自分はダメ!! もっと効率的に!!」という自己否定感がベースにある。

 

私が疲弊するまでのチャートを書いていくと、

 

自分は時間を効率的に支えていないのでダメだ・・・と思いながら生きている

→「私はダメかもしれないが、そんなにダメだと思い続けると心が壊れてしまう、守りたいマイセルフ・・・」みたいな気持ちもある

→守りたいマイセルフ状態になるので、心が必要以上に防衛的になる

→周囲の人間と何かしらのコミュニケーションを取る

→「もしかしたらこの人は私のことをダメだと思っているのかもしれない!!!」と思う(自分がそう思っているから)

→「でもそんなこと思われたくない!!!!」とも思う(自分がそう思っているから)

→なんでもない会話で体力を使う

→波風が立っていないところにわざと波風を立てている

→普段よりも疲弊する

 

という感じだな。

 

こういうときは普段より疲れているので過眠してしまい(10時間とか)、それでまた落ち込む。もうこの負のスパイラルよ。

 

***

 

しかし、インターネットで見ると、宅建は「アホでも受かる」「士業の中でも最弱」「偏差値で言うと40ぐらい」「受からないとしたらそれはお前がアホなだけ」など、散々な言われようをしている。

これもまた落ち込む要因なのだが、まあ、周りが楽々やってるからって自分も楽々できなければおかしいみたいな法律はないわけですからね。

むしろ私なんて、誰もが楽々やってることのうち、できないことのほうが多いよ・・・。ふふふ。

 

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私は、しんどいときと、そうじゃないときのギャップがものすごく激しくて(みんなみたいに、しんどいときにしんどくないふりをする、みたいなのができない)、

マジで心配されるレベルまで社交性がなくなってしまう。

きょうの朝は、園長先生(おっさんなので嫌い)が息子にわけのわからんイチャモンをつけてきたので(アルコール消毒をしてもらうときは、両手を差し出し、さらにその両手はお椀のかたちを作らなければいけない。息子はお椀の形を作れないばかりか、片手しか差し出さないので、アルコール消毒が全くできず、息子以外の園児が迷惑を被る とのこと)、

「それはあなた個人のルールであって、園のルールではないですよね」とデカい声で言ってしまった。

 

夫に家でその件を説明したら、夫は驚いていた。なぜなら夫が預けにいくときは「両手かつお椀」のルールは存在せず、親がアルコールスプレーをしていた(らしい)から。

 

ウウウ〜〜〜〜〜。

 

私は急に現れてマイルールを押し付け、それに順応できない人間を否定する権威者が嫌いなんだ!!!! こんな権威者に従ったところで、人生いいこと一つもなし!!!!!

 

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まあでも、普段はヤンワリと拒絶とかできるので、こうやって喧嘩腰になっちゃうって言うのは、周りに甘えてるってことなんだろうなあと思う。

しんどいときってなんか急にバタッと「取り繕う」体力がゼロになっちゃうんだよな。

 

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しんどいので、昨日・きょうと、息子を幼稚園に送ったあと、しばらく図書館でボーッとしている。図書館は、本がいっぱいあるので嬉しい。

いろいろ読みたい本があるのだけど、いっぱい借りると何もかも放棄して読んでしまいそうだし、そうなるとまた自己嫌悪するに違いないので、軽めの本を1冊だけ借りる。あと、息子の絵本。

家について、車から降りずに、本を読む。読み終わって、やっぱり軽めの本じゃなくてもっとヘビーなの読みたいな・・・とも思ったりする。絶版になっててAmazonで8000円ぐらいしてた小説を見つけたりして、ああ早く読みたいなあ、と思う。

 

ところで、レオレオニの谷川俊太郎訳の絵本、訳がどヘタすぎない? 『アレクサンダとぜんまいねずみ』とかめちゃくちゃ読みづらい。英語から日本語に訳すときに、過剰に英語のエッセンスを残してしまっている感じというか。

翻訳って色々考え方があるだろうけど、絵本については、ゴリゴリに意訳をしてもいいと私は思う。だって読むの幼児だし。読み聞かせが前提だし。

読み聞かせるってことは、音で聞いて面白いのが重要ってことじゃないのかな。『あおくんときいろちゃん』は面白いのに〜、と思ったら、『あおくん〜』は藤田圭雄訳で、谷川訳ではないのだった。