(それらの気持ちを私は)書かない

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みんなマジで、天皇一家の恋愛事情って興味あるんか?! ワシ、な〜〜〜んも興味ないので、ニュースサイトを見るたび、世間に置いていかれた・・・と思ってしまう。

しかし実際のところなんで気になるんだろう、天皇一家の人間が誰と結婚するかによって税金の額とか変わったりするんですか? 株価とか動くんですか? 結婚お祝い金みたいなの払うの? 無知なので知らないんですが・・・。

 

ところで、天皇一家の恋愛事情には全然興味ないんだけど、テイラースウィフトの新しい彼氏は常に興味あるね。なぜだろう・・・。

 

追記。夫に話したら「人権侵害だよね」と言っていた。そうです!

 

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全然関係ない息子の話。

先日コンビニに行ったら、雑誌コーナーでグラビアアイドルを息子がジーッと見ていた。

「どうしたの?」と私が聞くと、グラビアアイドルを指さしながら、「この子、かわい〜♪」と答える息子。

これがえなこだったらちょっとショックだっただろうが(えなこに対するいわく言い難い気持ちを抱えるアラサー)、なんかよく知らんアイドルだったので、「かわいいね〜」と答える。

そのあと息子がまた「かわい〜」と雑誌の表紙を指さしたので、なあにと思ってみたら、スヌーピーだった。

 

事物が「可愛い」状態にあると考えられる、そのレンジは広い・・・。

 

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この間、ブログを読んでくださっている方から、岩城けいさんの本をおすすめされた。

1冊読んでみて気に入ったので、岩城さんの本を全て読む。

『さようなら、オレンジ』『Masato』『Matt』『ジャパン・トリップ』『サンクチュアリ』かな。

ずっとオーストラリアに住んでる日本人の方なので、基本的にはオーストラリアが舞台の小説。

 

MasatoとMattが凄まじい。移民として生きていく日本人の感じがものすごく出ている。これを親の視点じゃなくて子供の視点で書いたのがしんどい。親の視点だと言い訳ができるんだけど、子供の視点だと、辛さが辛さのままなんだよな。

 

日本人が移民するときって、他の国の移民と違って、「帰りたければ帰れる」っていうのがすごい大きい特徴だと思う。移民の中には、貧困とか紛争とかで、母国に帰りたくても帰れない人というのはたくさんいる。

 

日本人が海外で暮らそうとするとき、そこには常に「帰りたければ帰れるのに、なぜ帰らないの?」という疑問がつきまとうんだよな。子供に辛い思いをさせて、家族がグチャグチャになって、そこまでしてこの国にい続けないといけない理由は何? っていう。あなたのワガママじゃないの? と問われると、そうです、としか言えなくなっちゃうんだ(国際結婚とかは違うけど)。

 

日本は確かに、メリトクラシーもゴリゴリで生きづらいけど、海外移住できるぐらいタフな人間は、日本で生きるの、結構ヌルゲーですから。

 

おおかたの日本人にとって、「どうしても海外移住をしなければならない理由」なんてない。ブラック企業が嫌だとか、そういう理由は、家族に地獄のような思いをさせてまで貫き通すには、あまりにも弱い。っていうか、英語が出来て、海外移住できる程度の職業上の能力がある人なら、日本でもブラックじゃない職場を探すのってそこまで難しくないんだよな。日本、生活費安いから、給料低くてもなんとかなるし。

 

特に、英語とかフランス語、スペイン語、中国語みたいに、世界共通語度合いの高い言語を使う国にいて、その上で、子供に日本語の読み書きも出来て欲しい、とか思うと、超HELLだよね。子供にとって日本語を学ぶメリットなんて何一つないのに、親のエゴで、ただでさえ忙しいのに、日本語の学習とかまでしないといけないっていう。

 

Masatoで、「日本の大人たちは、英語が出来るなんていいね、とか言うくせに、いざ自分が英語を喋ると不機嫌になったり、英語を喋るな、と言ったりする」みたいなことが書かれていて、これは本当にそうだなと思う。

 

あらゆる親がそうなのか分かんないけど、私は子供を産んだとき「小学校の勉強とか教えてあげられたらいいな」とかって思っていた。

子供っていうのは、いつかは自分を超えていくんだろうけど、まあ20歳ぐらいまでの間は、「理解可能な生き物」「庇護や教育の対象」なんだろうな、と思ってたわけ。子供を導いていくぞ、みたいな。

 

教育のために移住をするのって、「子供に与えよう」と思ってるわけだよね。親のほうが優れている、という前提がある。なのに、子供がやすやすと自分の能力を越えていくのは、やっぱり怖い。こういうことを思ってしまうのは悪い親だと分かっているから言いませんが、息子が私より優れた存在になってしまうことを、ときどき私は恐ろしいと思う。

 

なんかそういう悲しさみたいなものを思って、この現象や心情を小説というメディアで拾い上げてくれて嬉しいなあと思った。

 

しかし、海外に住みながら、日本語で小説を書くということの難しさよ。嘘を書いてはいけない、と思うと、日本を舞台に小説を書くのがすごい辛いんだよな。かといって、海外の話をすると、「共感しました」と思ってもらえないという・・・。

海外在住の日本人作家って多和田葉子ぐらいしか今パッと思いつかない。多和田葉子はなんかもう全然、土地に固有の感じがしない小説だから、日本に住んでなくてもアリなんだよな。

小川洋子とかも、多分日本語じゃなくても本当はいいんだと思う(あの静謐さは日本語じゃないとダメ! と日本人の私は思ってしまうが、多分翻訳になったらそれはそれでcoolなんだと思う)。

 

岩城さんは、多分、「いそうな人間」を書かないといけない、と思うタイプの作家なんだよな。じゃあ英語で、オーストラリアの人間の「あるある」書いたほうが絶対読んでもらえるじゃん、と思うけど、書かないんだよね。多分書けないんだよね。

たとえば、Aki Shimazakiとかはフランス語で書いてるけど、これはもうなんかバリバリ虚構の世界っていうか、日本人がこういうオリエンタリズムみたいなの書いちゃうのはどうなのか、みたいなキャラ設定と、コテコテのストーリーって感じじゃん。

岩城さんは、そういう感じの、つまり、外国語で書くことに対するある種の甘えみたいなものを持ちながら書くことができないんだよね。

 

日本人って、アゴタ・クリストフにはなれない感じがあるよね。アゴタ・クリストフは、もう母国に戻れなかったから、フランス語で書いたんだけど。

私たち日本人は、戻ろうと思えば日本に戻れて、日本語で書けば読んでくれる人がたくさんいて、だから外国語で小説が書けない。

 

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宅建がねえ、10月の17日に試験なんですよ。苦しみながら試験勉強をしています。

なんかねえ・・・。どんな模試でも8割弱ぐらい取れるようになってきたのよ。合格点は毎年動くんだけど、なんぼなんでも8割とれたら合格できるから、なんか、あとちょっと頑張ればいけそうな気がするんだよね。

 

本当はどんな模試とか過去問でも9割ぐらい安定して取れてたら、まあまあ安心して受かるだろうっていう感じなんだけど、うーむ。

あと10日でどれだけ追い上げできるかな〜。頑張ろう。