初雪と彼だけに宛てる叫声

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先週、ふと思い立って、4コマ漫画をひたすらアップするだけのTwitterでもしようかなあ、と思ったのだけど、

登録画面でメールアドレスなどを入力しながら、

「Twitterをする」という思いつきに付随するありとあらゆる厄介ごとが頭を去来し、

(フォローされただの、しただの、気の滅入るニュースを見るだの、リプライに悩むだの、Twitterに費やした時間でできたことを考えて落ち込むだの)

それらがあまりにも面倒になって、結局Twitterはしないことにした。

 

2021年、自分はSNSにとにかく不向きなのだ、と発見した(今さらだなあ)。

フォロワー数とか、RT数とかが気になって気になって、1日を支配されてしまったりする。愛してもらうために、思ってもいない極論を言ってしまったりね。極論は精神に悪いので、自分で自分を苦しめるし・・・。

 

TwitterやInstagram、もしくはTikTok、note、そういうSNSで、人と「正しく」交流できるように、己をコンテンツ化することに苦しみもがいてきた20代だったけど、

考えてみればなんで私は私のことをコンテンツにしないといけなかったんだろうね。

 

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SNS向いていない、というのに関係するんだけど、2021年は、「私はクローズドな環境でシンネリと生きてるのが一番ホッとするんだな」と分かった年でもあった。

人気者になりたいとか、有名になりたいとか、そういうのってなんか、あんまり興味なかったんだな。私のことをよく知っている人と楽しく過ごせることが一番大事。

そう考えたら、まあ、自ずと職種も、不特定多数の人間に向けて発信をするライターとかデザイナーじゃなくて、もっと地域に根を下ろして働ける、国家資格職とかだよなあ、と思うようになった。

 

このブログもまあ、ややクローズドな場所でシンネリとやってるから、低空飛行でも続いてるんだろうな。1日の閲覧者数、めちゃくちゃ少ないけど・・・。

 

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2021年の気付きは、いよいよ息子が異物になってきたということ。

幼稚園に通い出したので、お友達や先生たちに影響された言葉遣いなんかをするようになってきた。

それは要するに、私の苦手なタイプの大人、の言動をトレースした子供たちの言葉ってことだ。「泣いたらダメなんだよ」とか「男の子だからカワイイはダメ」とか「1番じゃないとダメ」とか。

 

かつて完全にコントロール可能であった息子、私の理解可能な形で舞い降りた天使であった息子が、たんにつまんねえことを言うクソガキになる。それを「正しい成長の形」として祝わねばならないことに、強い混乱と悲しみがあった。

 

私と息子は同一の人間ではないから、息子が違う人間であったことを、私は理解し、認め、手放さなければならない。

はずなのに、どうしても、純真無垢で天使のようで、絵本の中の生き物みたいだった息子に戻ってくれないことを、私は辛いと思ってしまう。iPhoneの中に膨大に存在する息子の赤ちゃんだった頃の動画なんかを見て、そのたどたどしい言葉遣いにキュンときて、今の息子の可愛くなさに愕然とする(いや、可愛いですけどね)。

 

私は夫に対してこういう異物感を覚えたことが一度もない。確かに夫は私にとって異物だけれども、夫がコントロール可能であったこと、私の一部であったことは、かつて一度もない。私と私のマグカップの境界がきちんと分かたれているのと同じ理屈で、私と夫は違う人間だ。

 

でも息子は違った。かつて息子は私の一部だった。つい最近まで私の一部だった。私の一部であることを、息子自身も望んでいた。

 

いつか手放す生き物、いつか離れていくことが運命づけられている生き物を、命よりも大切な生き物として愛すること。それはなんていうのか、かけたコストに対してリターンがとても少ない、つまらねえ事業だな、と思う。そもそも、どうせ人類は滅びたほうがいいのなんて分かってるから、負け戦もいいところ。育児はクソである。無から有なんて産むからこんなことになる。

 

それでもやっぱり、なんていうのか、私たちにとって、繁殖すること、というのは、生命の目的としてあまりにも自明だからな。

「生きることのメリット」とか「食べることのメリット」とか、そんなことを考えないのと同じように、私は繁殖する。

育児にメリットなんてない。考えてみれば生きることにすらメリットなんてないよ。でも動物って産むでしょ。私は動物だから産んだ。

 

でも人間なので、育児のコスパわるすぎ〜と絶望している。

息子がクソガキになって私はとても悲しい。でもそれはそういうものだ、とも思う。

 

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今年はまあ、自分なりに結構頑張ったな。新しいこともたくさん学んだし。

カウンセリングに行くぞ〜とか、行かないぞ〜とか、傾聴の講座いくぞ〜とか、児童用語についての授業受けるぞ〜とか、そういう、なんか、ケアのことについて学べたのは大きかった(2022年もケアのことについては学び続けていくぞ)。

本もまあまあ読んだし、小説も、書かないわけではなかった(いや、全然書いてないけど)。

来年も頑張りたいな〜。