きょうの朝、リスカしてた頃の夢を見る。
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なぜリスカをするのか? っていうのに対して、「生きている実感がほしいから」みたいな説明をする人がいるけど、私、そういうのあんまり考えた事ない。
ずっと、「クラスの誰よりも上手にできることがほしい」と思ってリスカをしてた。
(落ち込んでるときに、「生きている実感」みたいな複雑で難解なこと考えられる人いるのか?!)
(昔かいてたブログにも書いたことがあるんだけど、そのブログはもう消えちゃったから、改めて同じようなことを書きます)
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リスカって、したことある人は分かると思うけど、すごい痛いから、普通に嫌なんだ。
でも、そういう苦しさを乗り越えて、恐怖心にも打ち勝って、すごい深いところまで切れると、なんていうのか。自分にもBIGなことができたぜ、と思って、嬉しいわけ。
リスカとか摂食障害とかの自傷系の人って、結構、「成果」を人に見せびらかすじゃん。
SNSに傷痕アップしたり、自撮りしたり。
これは、「かわいそうだと思ってほしい」とかじゃなくて、「めっちゃBIGなことをしたから見てほしい」なんだと思う。少なくとも私の場合はそうだった。
自己ベストを更新したから見てくれ! なんだよ。
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私はティーンの頃、絵を描くのも好きだったんだけど、絵は、描いたら、インターネットにアップしてたのよ。これはなんかみんな感情の流れとして分かってくれると思う。
手首がこんなにも深く切れた! 嬉しい! 見てほしい! っていうのも、本質的にはそれと同じことだったんだよなあ。
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考えてみれば、子供の頃、私たちの周囲には「ちょっと苦痛を味わって自己ベストを更新することを是とせよ」みたいなことを言ってくる大人が溢れていた。今も溢れているでしょ。これを読んでいるあなたも、きっとそういうことを考えたことがあるはず。
つらい筋トレをしたら筋肉がつく。
素振り100回したら野球がうまくなる。
英単語100個覚えたら、TOEICのスコアがアップする。
リスカも構造としては同じなんだよな。
むしろ、他の「苦痛と報酬」系のことと違って、リスカは投資も少なくていいし。カッターナイフ代だけでいいんだぞ。お得〜。
(そもそも、リスカをするティーンがいたとして、それって、そのティーンだけが悪いのか? っていう話もあるよね。周囲の大人の対応にはマジで全く問題ないわけ? 殴っておいて泣かれたら「泣くな」って怒る人、みたいになってないか?)
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さて、話は変わるんだけど。
この間、息子が自転車に乗るのを見ながら、ふと思った。
自転車を止めたいときって、ブレーキを使うときもあるけど、実はいろんな方法で止められるんだよね。
靴底を地面ですり減らすのでも、ペダルをこがずに止まるのを待つのでも、あとは壁に激突しても止まるっちゃ止まる。誰かに止めてもらう方法もあるね。
いや、考えようによっては本当に色々あるんだよ。自動操縦してくれる自転車を作るとか、いつでも自転車を止めてくれるお付きの人を24時間365日雇えるぐらいリッチになるとか。
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世の中のあらゆる事象ってこうなんだよね。
物事に対処したいとき、つまり、Aという物事を、Bという状態にしたいときって、本当に何通りもの経路が辿れる。
だから、物事って「Bという状態にする」ことよりも、「どのようにしてBに至るか」のほうが重要なこともあると思うんだ。
意味わかる? だって、自転車の例でいうと、「自転車が止まる」っていうのがゴールなのだとしたら、毎回壁に激突するのが正解ってことになるじゃん。いや、別に毎回壁に激突してもいいんだけど。
ブレーキの使い方を覚えたほうが効率的だし、安全っていう説もあるんじゃないか、と検討することもあっていいじゃない。
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リスカもね、壁に激突してるのよ。
リスカをしていた頃、同じようにリスカをしていた友達と、「家族と男が絡んだときって、無性に手首を切りたくなるよね」と笑ったことがある。仕事でイライラしてもリスカはしなかった。クラスの女の子にいじめられても、それで「リスカだ!」とはならなかった。
家族と男は、なんていうのかな。
私(たち)を守ってくれるべき存在だったから、悲しみと怒りが強かったんだろうな。
家族や男から否定されると、本当にしんどくて、生きていても良いのか分からなくなっていた。
でもリスカをすると、この最悪の状態でも、自分で自分に対して価値を与えることができる。
こんなに深く切れた、クラスでこんなにDOPEなことやってる子って私だけなんじゃないかな、だから大丈夫、私はまだ私をクールだと思える。
現実に打ちのめされて、それでも自分で自分をクールだと思いたい時、色々やり方あると思うんだけど。リスカは、その手段だったんだよね。私はそうだと思ってる。
本当は、多分、リスカじゃない手段で、親や彼氏から、自分という存在を正しく守ってもらえる方法を知ってたら、リスカなんてしなかったんだろうね。でも、私の周りにそういう人は存在しなかった。今同じ状況になったとしても、やっぱりリスカをすると思う。
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まあ、別に、そこでリスカしちゃうのはいいんだ。
壁に激突させることの真の問題は、壁に激突すると、絶対に自転車が止まること。
当たり前のように見えるけど、でも、何回も何回も、壁に激突させていると、だんだん、壁に激突させる以外の方法を忘れてしまうでしょ。
困ったら激突させればいいと思えてくる。自分の問題解決に対する基本姿勢が、そこで作られてしまう。
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私は長いこと、暴力と怒り、それから自殺を企図することでしか物事が解決できなくて、それが本当に苦しかった。
でも、何より苦しかったのは、これらの手法全部が、きちんと機能していたことだ。
夫を殴ると、夫は何も言わなくなる。自殺するかもしれないと仄めかすと、みんなが優しくしてくれる。
夫と話し合うより/誰からも優しくしてもらえるような立派な人間になるより、暴力のほうが楽だし、才能が不要。だって、激突したら絶対に自転車は止まるからね。
仮に、問題が解決されることをゴールとするなら、暴力って非常に正しい行為だ。死ねば問題もなくなるんだぞ!
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大人になった今も、いまだに、物事に対応しようとするとき、反射的に壁に自転車を激突させそうになる。ときどき疲れていると激突する。
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でもねえ。
リスカした夢を見て目が覚めて、「なんかあの頃って本当にしんどかったな」と心底思った。
それが私の、リスカに対する思いの全部なのだろうなと思う。
暴力は疲れる。殴ると、殴られるかもしれない恐怖の中で生きることになる。アラサーの私に、そういうストレスの中で生きるための体力は残っていない。
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私は大人になったから、親から離れても生きていけるし、彼氏に親としての役割を期待しなくてもいい。
カウンセリングに通うことができるし、夫や友人としゃべることができる。
本を読んで知識を得ることもできる。
だから、リスカ以外の選択肢が手元にある。
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昔、リスカをなぜするのか、という記事を書いていたとき、私にはどうしても「リスカは悪いことだ」とは言えなかった。今も言えない。あの時点において、リスカという選択は本当にベストオブベストだった。
でも、29歳の今、私はリスカをしない。
それで、あの頃リスカによって得ようとしていた「結果」を、リスカ以外の手段で得られないか、色々考えている。
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リスカをしている子供たちに、何か言えることあるのかな。やっぱりないんだと思う。だって、自分一人の力では打破できない状況って、世の中結構あるもんな。親から逃げろとか、そんな安易に言えないよ。逃げてどうするみたいな人だっているだろうし。
ある時点では本当に正しいんだよ。
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でもね、大人になって、何かがどうにかなって、ストレス源から離れて生活できるようになると、「リスカってしんどかったなあ」と思えることがある。
リスカじゃない方法で、現実に対処してもいいかな、と思えるかもしれない。
それはね、結構いいよ。少なくとも、私はいいと思ってる。
あなたもそう思ってくれたら、そういう未来があったら、それって本当にいいなと思ってる。