手繰る紐まで浮かばれない

今週金曜日から6月の終わり頃まで、地獄のように仕事が忙しい(嬉しいことです)予定なので、断末魔としての日記。

(私、今週金曜日から、うまくやっていけるのだろうか・・・)

(不安だ・・・)

(不安です・・・)

 

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すごくどうでもいい話をするのだけど、

最近はおおよそ3週間おきぐらいに献血に行っており、

献血に行くと、なんだか気分が良く、健康になった気がする。

 

多分、瀉血ってこういう発想で生まれたんだろうなと、妙に納得・・・。

 

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自治体の開催するフェスティバルで、運営委員会のボランティアを募集していたので応募したのだが、

ボランティアの仕事自体はまあ別に、こういう仕事をするだろうな〜と予想していた通りなのだけれども、

人間関係でエモーショナルになることが多く、かなり面倒になってきている。

 

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なんか、私は、後天的に社会性を身につけたので、

自分ができることは誰でもできる、と思ってしまうところがある。

 

ので、なんか、ものすごいマウンティングを食らったり、

人を批判したいときに人格の批判までするような人を見たりすると、

「それってダメなやつじゃん、私はそういうのはやらない・・・」と思ってしまうわけ。

 

私ができる=誰でもできる=誰でもできることをしない人は、あえてやってるということで、それって悪意があるってこと。ムカつく〜。ってな感じになってしまう。

 

でもまあ、社会性を高く保つとかって、別に、人間の必修科目でもないしなあ・・・。

 

なんだろうな。たとえていうなら、「解けづらい紐の結び方」を知っているかどうか、みたいなものよな。

そりゃ知ってる人はいるだろうし、知っていて助かる人もいるかもしれないけど、みんながみんな知らないと生きていけないわけじゃないから・・・。

 

私は紐を結べるのに、なんでみんなも結ばないの? って思うのは、

まあ、要求としてよく分かんないからな・・・。

結びたければ結べよ、だし、結ばなくても別にいいじゃん、ですよね。

分かってるんだけど、どうも難しい。

 

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カナダで楽だなと思ったのは、カナダだと、意図が全然わからんな・・・という人に出会っても、

「民族が違うから、こっちの常識を押し付けても仕方ないよな」と割り切れるというか、人間に対する期待値が下がるのが、すごい楽だったんだよな。

 

移民国家は人間関係が楽なんだ・・・。

 

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さて、人間関係で本当に謎なのは、私にマウンティングをしてくる人で、

私はマジで本当に心から、自分ほどいい人生を送っている人間は存在しない・・・と思っており(みんなもそうでしょ?)、

「もりたさんって友達少ないんだ〜」とか「メンヘラだよね〜」とか「繊細だよね〜」とか「空気読めないよね〜」とか言われても、

お前・・・マジで私と張り合おうとしてんのか?! と、結構困惑してしまう。

 

が、これまでの人生経験上、マウントをとってくる人は、結構日々、ボロボロのメンタルで生きていることが多く、まあ素朴に、めちゃかわいそうだな・・・と思うんだけど、

 

仮にかわいそうな人に対して「マウントをとってしまう気持ちは分かる」と思ったとして、

それは別に、

私がそういう人の親代わりとなって優しく優しく接していけなければいけない ということを意味するわけではないしな・・・。

 

かわいそうだけどよ・・・。

 

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っていうか、マウント取ってくる人って、会話の全てがマウントになっちゃうからな。突破口がないんだよな。

虚勢を張りたいです!!! と言っている人に、面倒だから虚勢を張るのをやめろ、と要求しても、無意味だしな。

 

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期待値を下げる練習、したほうがいいのかなあ。大変なんだよなあ。

その時間あるなら、息子と遊んだり、勉強したり、仕事したり、したい・・・。

うーん、うーん。

 

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ボランティアなあ。今辞めたら、根性なしみたいに思われるかなあ。

(しかし、思われたから、何・・・?)

 

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金曜日から忙しくなるというのに、こんなにもボランティアのことで悩んでしまっている・・・。無駄だなやっぱり・・・。はあ・・・。