シンウルトラマンを観てきた。非常に良かった。
宇宙から見たときの人類の「価値」が、愛を知っているとか、そういうしょ〜もねえことではなく、「兵器として利用可能」っていうのがすごくいい。
劇中でも、
・ウルトラマンの力を平和のために使うっていう考え方はないのか・・・とか、
・軍事利用する考え方は各国共通だネ・・・
みたいなセリフがあったんだけど(セリフ覚えてません)、
平和に話し合うっていうのはあんまり共通言語ではないよな。やはり動物は争う生き物。
たとえ異星人同士であっても、「私たちは争いあう」という一点で理解可能、というのは、ものすごく深く納得がいく。殺し合うことはコミュニケーションの一つ。
山河すら(銀河系すら)滅ぼしてしまったとき、そこには確かに「血の通った」お互いへの理解が存在するんだよな。
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劇中、「データのバックアップを取らないことを決めた人をぶっ殺したい」「Me too」というような応酬があったり(セリフ覚えてません)、
なんていうのか。劇中にくまなく、「暴力と、暴力への共感」というリフレインが散りばめられているんだな、と思った。
反対に、ウルトラマンが「人類が好き」とか言っている感じは、最後まで全然異星人たちに共感してもらえていない。
なんか・・・ウルトラマンが、人間でいう、大学教授(専門はゴキブリ)みたいな感じになっているというか・・・。物好きねえ。という感じっていうか・・・。
あんたが頑張っているのはよく分かったが、私はあんたの気持ちはどうも分かりませんわ。という感じがとても良い。
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SFを読んでいるときにしばしば考えさせられるのは、
なぜ私たち人類は守られねばならないのか? ということで、
もちろん人類の読者として「人類は守られてほしい」と直感的には思うんだけど、
じゃあ私が4月に「スギは根絶やしにせよ」とか、8月に「全ての蚊が滅んでほしい」とか呪詛を撒くことって、スギとか蚊からしたら絶対にやめてくれというような話なわけだよね。
たとえば「蚊は工業用の安価な労力として進化させることが可能」とか言われたら、私もすごく納得できるけど、「蚊はお互いを思いやって愛し合っているから」とか言われても、「ハァ?」としか思わんわな。
蚊のお互いへの思いやり、意味あります? 増殖しすぎていいことないんだが。放置しておくとこっちにも害が出るわけですし・・・。
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「超人」を扱うエンタメ作品は常に、
・なぜ暴力を利用するのか
・なぜ人間を守らねばならないのか
という疑問が常に付き纏い、あらゆる超人作品は、それに一応のエクスキューズをつけるわけじゃん。
シン・ウルトラマンは、
・なぜ暴力を利用するのか→それが一つのコミュニケーションの形だから
・なぜ人間を守らねばならないのか→人間が兵器として利用可能だから
というように、かなり納得可能な形で、暴力と人間擁護を肯定していて、それが良いなあ。と思った。
多くのヒーローものは、「敵を暴力によって殺す」ことについて、有耶無耶にしがちなんだけど(アンパンマンとかも、なぜ暴力で殺すのか全然よく分からない)、
この「ヒーローの本質って何?」っていうところをかなり強く描いていて、良いな〜と思いました。
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私たちの世界で、何が善で何が悪かは分からない。だって、ウルトラマンの仲間が人類を殲滅しようとするわけだし。
でも、共通言語としての暴力を持ち出し、誰もが納得可能な「人類を存続させるべき理由」を構築してしまう、その乱暴さ、深い納得感に、私は結構感動したね。
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あと最後に米津玄師が、ヒロイズム剥き出しのエモソングを歌うところもめちゃくちゃ良かった。米津solves everything
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以上。以下は日記。
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昨日はジムに行ったので筋肉痛。
ジムは生まれて初めて行ったけど、結構面白い。
ジム おもしろポイント
・たくさんの人がいて、全員が運動をしている(おもしろい)
・自転車をこぐマシンが、漕ぐ力によって電気を発生させているところ(めちゃめちゃおもしろい)
・腹筋のトレーニング器具が、死ぬほど汗臭いこと(勘弁してほしい)
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しかし、生まれて初めてジムに行ったのだけど、筋トレのマシンの使い方が逐一分からない。
インターネットでは「使い方が書いてあるから分かる」というようなことが記されていたが、
あの使い方を読んで分かる人は、筋トレマシンの文脈に造詣が深いのだろうな。
前提知識量があるので、書いていないことでもなんとなく推察できているのに違いない。
すごいぜ、筋トレマシンの使い方を読めば分かる人・・・。
トレーナーさんに聞くとなぜあんなにスンナリ分かるのか、それがむしろ謎。
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というわけで、すぐにトレーナーさんに「これはなんですか」と聞くのだけど、
たくさん使い方を聞いても覚えられるか自信がないので、週に1回行くごとに、2つぐらいの機械の使い方を教わることにした。
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以前、理学療法士の方とお話をする機会があって・・・。
高年齢層の方に対する運動が専門の方だったのだけれども。
その方が言ってたことで「なるほどな〜」と思ったのが、
高齢者で身体機能が衰えている人は、満遍なく体を鍛えたりすると体力が追いつかないこともあるから、まずはピンポイントで「ここを鍛えたい」という目標を設定しないといけないんだけども、
この「目標」っていうのが結構くせものなのだと。
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というのも目標って、まあ言い換えてみれば「なりたい自分」ってことじゃん。
小さい頃から、学校通って、就職して、結婚して、子供持って、家を買って・・・っていうふうに、人生のルートが決められていた人の場合、「なりたい自分」っていうのがかなり曖昧なことも多い。
なのに、高齢期になってから急に「なりたい自分は?」って問われてもよく分からない。
分からないので、運動をする目標がうまく設定できず、結果、運動をするモチベーションが続かず、体が衰えていき、最終的には自立した生活がままならなくなり、施設に入る・・・
というようなことが結構あるらしい。
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だから、運動は大事、運動は大事、と、念仏みたいに社会はいうわけなのだけど、
その前段階として、「私は何者か」「どんな自分であり続けたいか」っていう、自己認識みたいなものがきちんとある人じゃないと、モチベーションが保ちづらいよね。っていう。
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高齢期の話だけど、普通に自分にも当てはまることだなあ・・・と思ったね。
ちなみに私は「献血したあとの血液検査で、不健康だぞと指摘される項目が一つもない体」が目標です。。。
あと、週1だと難しいんだろうけど、「身長がちょっとでも高く見える体」とかも、そのうちね・・・。考えられたら嬉しいけどね・・・。低身長、いいこと特になし・・・。