あなたを勘定に加える

 もうちょっと早く生まれてきたらよかったよねと閉子はいつも言っていた。閉子の膣はぐうっと硬くなってもう何も出し入れする隙間がない。そうだねと私は応えるけれども本当はだいすきなテレビ番組の続きのことのほうが大事だった。
 閉子よりも大事なことがこの世にはたくさんある。例えばテレビ番組の続きのこともそうだし、私が今妊娠している子供のことももちろんそう。ケイスケだってムカつくことも多いけど、それでもこれからずっとやっていく伴侶なのだ、閉子よりずっと大事。お母さんも、お父さんも。職場の人たちのほうが閉子よりも大事だと思ったことすらある。
 閉子が頼んだのは抹茶オレだった。「抹茶オレってさ、」と閉子は言う。「オレっていうのが、なんか、コーヒーっていう感じがするから、変だよね、コーヒーじゃないのにね」「ああ」久しぶりに会った閉子の爪はスヘスヘのピンクだワンピースは黒地にレモンのプリント、鞄にはタッセルが付いている、「その鞄可愛いね」「あはは。安かったんだよ」私は子が腹を蹴るのを感じる。きょう閉子と会ったことがどんなふうに私によいものをもたらすのだろうか。腹を撫でる。「ずいぶん大きくなったねえ」「そうだね」「前会ったのいつだっけ」「えっと5月?」「そんなに会ってなかったっけ」「違うかも」「いや5月か。ケイスケさんのゴールデンウィークのさ」「ああー」閉子の口からケイスケの名前が出てくるときは困る、思ってもいない言葉を言わねばならないような気分になる。

 閉子は17で初めて知り合ったときからずっと同じようにボウリングが好きだ、ジムに通うのもずっと続けている。ヨガのインストラクターになったのもジムに通っているときに思いついたというのだからすごい。私はあれからずいぶん変わってしまった。ケイスケと出会ったし、結婚もしたし、子供も産まれる。でも一体私自身は何かを成し遂げたのだろうか。つわりで見るのも嫌になっていたマニキュアを昨日久しぶりに塗った。マニキュアを塗ろうと思いついた瞬間はあんなにドキドキしていたのに何度塗っても親指がうまく塗れないので嫌になった。初めてマニキュアを塗ったのは中学2年生のときだ。あの頃と全く同じ。「マニキュアってシンナーだけど大丈夫」とケイスケが言う、「大丈夫だよ多分」と私は言う。その瞬間ぼこりと腹が動く。「ほらね大丈夫だって」

 もうちょっと早く生まれてきたらよかった、よかったよね、と閉子は言う。私はいつも「本当にそうだね」と返す。私が持ついくつかの大事なもの、その中に閉子を勘定するかどうか。勘定するべきなのだろう、と私は考える。