離婚とかそういうのじゃないの

 悠紀子はそれをしまむらで買ったのだと言った。紫と黄色だ。ワンピースに描かれているのは名前も知らない大輪の花、紫と黄色。似合ってるよと言った瞬間に頭をよぎるかつての元彼ども、上原くん、郡司、光博(一生許さない)。月曜日は田守さんがつくってくれたやたら重いエクセルファイルからデータを抜き出して、どうにかこうにか発表資料を作る。多分月曜日だから、メルマガのこともやらないといけない。悠紀子はともかくそれをしまむらで買ったのだと言った。

 しまむらで1500円だった。黄色は似合わないと思ってたんだけど1500円ならいいかと思って買った。あはは。もうおばさんだからそれでもやっぱり30になる前に着たい服着ないとねと思って。私たちアラサーだもんねやばいよね。このまま死んでいくのかなあー。でも旦那も似合うって言っててさあ意外と分かんないもんだなって。いや旦那は何もいつも分かってないんだけどさあ。あはは。「修斗さん最近どうなの」、18であなたたちが出会ったときあなたはあなたの未来の結婚相手のことを修斗と呼んでいて、それが「旦那」に変わったのはいつだろう。いつだったっけ。どうしてか分からないけど私たちは婚姻届を出した瞬間から最愛の人を「旦那」というカテゴリの中に存在する人としてどこかとても遠い存在にならしめ、蔑んだり愛したり、無関心になったりする。「なんか浮気してた」

 悠紀子はこう言う。「まあ私が勝手に浮気って認定しただけなんだけどね。ご飯一緒に行って、美術館一緒に行ったんだって」あはは。悠紀子の笑い方は笑っているのかよく分からない、いつも。「でもさ、私さ、旦那に頼まれて保育園とか入れずに専業やってるじゃん、旦那の月収手取りでだいたい毎月26万なのね、タバコもずっと吸ってるし、やめてる様子ないし、どこでそんなお金つくってんのって思うじゃん。っていうかまあ結論いうと借金してたんだけどさご飯高いの奢りたさに、でもさ、なんか浮気に気づいたんじゃなくて、カードの会社から最近お金支払えてないですよみたいなハガキきて、それでこれ何って聞いたら最近飲み会とか多くてとかゴニョゴニョしてるから、その場で会社に問い合わせたらキャッシング枠で7万円借りてたんだよね。これ借金じゃん、サラ金みたいなのとは違うけど。でもお金借りてるのは同じじゃん。しかも返せてないし。で、何でそうなるって怒って、それでスマホ見たら浮気っていうか、その子とご飯行ってるって分かった」

 どう思う。悠紀子は言う。いやそれ浮気でしょ。美術館もなんか仕事上でとかじゃないんでしょ「うん。レオレオニ展ですよ」「渋谷の」「そうそうそうっていうかそれ私も行きたいって言ってたやつなんだよね。でもすごい混んでるらしいからまあ大翔と航太連れてくのは無理だよねって話もしてて、そしたらそれ行ってんの。意味が分からなくない?」「最低」「うんまあ」

 最低、ほどの言葉は悠紀子聞きたくなかったんだな、とすぐに分かる。「ごめん人様の旦那に」「ああごめん。なんかもうごちゃごちゃで。一線超えてるわけでもないなら浮気じゃないかって思うんだけどさあ」「いや借金してるしアウトじゃない?」「なんかでもさ借りてる額が」「まあね、7万円ってね」「すっごい微妙じゃない?」「まあなんていうか、ザ・借金、みたいな額ではない」「そうなの。カード会社にはキャッシングまで含めて、合計で20万ぐらいかかりますよ〜とか言われて、あーなんかその人がまたリボ払いを熱心に勧めてきてそれも困った」「リボは絶対ダメらしいね! 理屈知らないけど」「そうなの。私も理屈知らないけど、でもダメらしいじゃん。だからすごい頑張って断って、それで貯金崩して払って」「えー貯金崩したの」「仕方ないよね、生活費の口座に20万も入ってないよ」「確かに」

 あー思い出したらムカついてきた、なんかさその問い合わせの電話終わってさ、そしたら旦那がさ、「リボって借金地獄になるらしいから絶対ダメだよ。いま断ったお前は正しい」って言ってきた。「はあ?」という私の声を聞き顔を見て悠紀子はへへへ、と笑う。すっごい顔だよ、もうマジではあ? だよね、もうマジであり得ないよね。お前、私が・・・誰のために・・・って。もはや怒りでなんて言っていいのか分かんなくなったよ。「え、もう離婚でいいじゃん離婚しな? まじで悠紀子が可哀想すぎる」「うーんそうなんですよねえ」

 大翔と航太がなあ。まあ旦那、いわゆるイクメン? みたいなやつじゃん。土日とかいっぱい子供らと遊ぶし。洗い物とかゴミ出しとかやってくれてるし。正直いまシングルになって、働きながら大翔と航太育てて、家事も全部やって、お父さんお母さんに頭下げて、とか考えるとすっごいキツいなあって思うんだわ。ご飯とか未だに毎日「美味しかった、ありがとう」って言ってくれるし。「でも」「そう、」悠紀子は言う、続ける、「なんだけど他の女の子に見栄はるために7万円借金する」「それって全然家族のこととかどうでもいいってことじゃん」あ。悠紀子は右の頬だけを使って笑う。悠紀子はどうでもいい女、って意味にしか聞こえないよな。「いやそういう意味じゃなくて」「言いたいことめっちゃ分かる。でも私思うんですよ、まあ最近、女友達と遊ぶときばっかり化粧してたかなーとかさあ」「いやあ、育児してたら仕方なくない?」「でもなんか男の人には癒しが必要とか」「いや癒しが必要だからって借金してまで浮気していいわけなくない? 癒されたいなら色々やり方あるじゃん、ウーパールーパー飼うとか」「うわ懐かしい」「私飼ってた、私っていうか親が、いやいや、ってかそもそも悠紀子以外の女の子じゃないと癒されなくて、癒されないと死にそう! って感じなんだとしたら、事前に悠紀子に相談するべきだし」「相談されたら断るけどねえ」「まあねえ」

 悠紀子のワンピースはしまむらで1500円、黄色と紫で描かれた大輪の花。7万円があれば悠紀子はこのワンピースを46着買えて、お釣りできっとヘアアクセサリーが買える、でもきっと悠紀子はそうじゃなくて7万円があれば大翔くんと航太くんの服と靴下とパンツを買うんだろう。それからきっと100グラム400円ぐらいする豚肉なんかを買う。それで、でもきっと、月の食費が5万円を超えてしまったことをちょっと後悔するに違いない。悠紀子はそういう女の子で、私はそういう彼女のためにできることもかけるべき言葉も何も見つからなかった。「最低、」という言葉を口に出そうとしてまた口をつぐむ。「困ったらうち来てね」という言葉に悠紀子は笑ったけど、多分きっと彼女が私の家に来ることはない。