【2000文字小説】どこかで見た誰かの言葉を借りてきて使う

 小島君のスマホを深夜に盗み見て、小島君が表参道に通勤しているOLと浮気をしていることを知る。LINEのプロフィールアイコンの中で笑っている彼女はわたしと同じかそれ以上に太っている。吐く息がまだ白くなかったときのことを考える。

 指先がかすかすにかじかむ。モコのことは残念だったね、小倉君がそう言った。なんでいつもそうやって小説の中から出てきた人みたいな言い回しを思いつくんだろう、胸の内にそっとその追悼の文句をしまいこむ。「モコのことは残念だったね」。いつか誰かのペットのハムスターが、その人の飼い方が悪くて早死にしてしまったときに使おう。

 夜更かしするときはYoutubeでけみおの動画を観ることに決めていて、それはそうでもしていないと自分のことをだらだらと色々考えてすぐに死にたくなるからだ。シェアハピっていい言葉だから使いたいなと思う、でも29歳のわたしがけみおの動画で救われていることを知ってハッピーをシェアしてくれる人なんて世界のどこにいるんだよと思う。わたしの中にシェアハピがたまる、いつまでも使用することのない言葉として濁っていく。

 小倉君の家に泊まるときはいつでもわたしが彼のために夕食を作る、小倉君はいつでもわたしに美味しいよありがとうと言ってくれる、食べる前に料理の写真を撮る。「ねえ絶対Facebookにあげないでね」とわたしが言うと「あげないよー、でも直也とかに今度飲み会で写メ見せていい? 自慢したいんだよね」と言った。いいけど見せるとしても5秒くらいで終わらせてね、もう今日のやつとか卵半熟のつもりだったのに全然半熟になんなくて。

 ないたー。わたしの中のけみおが言う。半熟になんなくて、ないたー。あはは。正しい、正しい「ないたー」の使い方じゃん。そう思うけど何も言えない。小倉君はけみおには興味がないから。小倉君はYoutubeでは笠井くんに勧められたキズナアイとかの動画しか観なくて、普段はずっとスマホでパズドラの仲間みたいなゲームをしてる。なんかわたしの歴代彼氏みんなゲームしてるな、ゲームとセックスばっかりしてるな。

 小倉君の家で冬を過ごすのはすごく辛いことで、ゴキブリこそいなくなるものの、ユニットバスはカビが生えていて、夏の間ずっと洗われなかった毛布はカビ臭くて、トイレには彼の陰毛がむちゃくちゃに落ちている、もう小倉君パズドラやる暇あるなら掃除しなよ、と言ったら「モンストなんですけど」と怒られた。「それにさあ、彼氏の部屋が汚いのってそれ彼女の責任でしょ」彼はそう言う、「おデブちゃん」彼はそう笑う。わたしのお腹の肉をつまんで強く離した。「いった、」。

 ブタちゃんのね、小倉君はオムライスをペロリと食べ終わっていつものようにわたしを褒めそやす。温厚な性格なところが好き、ご飯つくるの上手なところが好き、俺に一途なところが好き、包容力あるところが好き。小倉君の褒めてくれるところ好き。ありがと、ブタちゃん。俺のこと好きでいてくれるのとかほんとブタちゃんだけ。あとさ、小倉君はわたしの胸をまさぐる、「おっぱい大きいところも好き」、「色白いとこも好き」

 わたしには隈本善子という名前がある。小倉君は多分だけどそのことを忘れてるんじゃないかなと思う。モコの名前は、すなわち、死んでしまったわたしのかつてのペットの名前は呼ばれても、わたしの名前は決して呼ばれることがない。わたしの名前はまるでわたしの中にしまいこまれて出てこなくなってしまったみたい。眠りこける小倉君の横でスマートフォンをいじる、YoutubeをSafariで起動する。けみおの動画がトップにきていて、音を出さずに彼が動き回っているのを見つめる。Youtubeのコメント欄に「Yoshiko Kumamotoとしてコメントする」という文字。

 小倉君にけみおの真似をして聞いてみたいことがたくさんあって、それはたとえば「オーケー小倉君先週1週間は素敵なWeekを過ごせたかでしょうかあ、よしこはねえ、なんと会社のムカつく上司にデブとかブスとか言われたことをぜえんぶ無視してツイッターで粛々と怒りを吐き出すことに成功いたしましたご覧くださ〜い」であったり「ねー小倉君ってさうちのことどう思ってんの? 嫌い? 嫌いならねーうちあんま嫌われてるとかもうねー気にしないことにしたの。なんかねーうちもねーブスじゃんしかもなんかマンホールみたいなデブじゃんそういうの色々昔から悪口とか言われててー、めっちゃ病んでるし今も結構な頻度で病むんだけどー、もううち気にしないことにしててー、てか小倉君って面白いねー。好きー。小倉君がうちのこと好きになってくれたらあげみー。」であったりした。でも小島君はきっとけみおの真似をする太った彼女のことを認めてくれない。それは彼のイメージの範疇を超えていて、彼のイメージの範疇を超えることは絶対に許されないことだったからだ。

 寒さですへすへになった指の先、小島君の局部を触った指の先で、そうっとカラコンを外す。自然に見えると評判のブラウンのカラコンをわたしが常に装着していることを小島君は知っているのだろうか。

 どうしてわたしのことを好きになったの。そういうことを彼に尋ねるたびに隈本善子は死んで「可愛いブタちゃん」のどうして可愛いかその理由が次々定義されていく、わたしの内臓の中にどんどんブタちゃんが溜まっていく。優しくて、人の悪口を言わなくて、モテないから俺に一途で、化粧が薄くて、何もしてないのに肌が綺麗でしっとりしていてふわふわで毛がなくて、ちょっとブスで、家事が上手で、よく笑うけど滅多なことでは怒らなくて。

 小島君のことをどうして好きになったのかたくさん言える。優しくて、機械に強くて、技術職で自分の技術でお金を稼いでる感じがかっこよくて、親友がいて、服がおしゃれで、メガネが似合ってて、セックスがちょっと変態だから。まあそれぐらいかもしれないけど、それぐらい言えれば十分だ。

 小島君のどんな要素が欠けてもきっとわたしは彼のことを愛せないだろうなと思う、だからわたしは小島君からブタちゃんと呼ばれても許してあげる。許してあげる。

 小島君はLINEでOLと擬似的なセックスをする。「ゴールデンウィーク、泊まりにいきませんか? いっぱいエッチしたいです」と言う。わたしは目を閉じる。ブタちゃんとしての肉体が呼吸をする。泣くのもままならないほどの喉の詰まりがわたしを襲う。タクシーでもなんでも使って今からもう自分の家に帰ってしまおうかと考えて、それは疲れたからやめておこうと思い直す。

 わたしは息を吸う、ブタちゃんとして息を吐く、「ねえブタちゃんのことは残念だったね」。