死ぬのが怖くてなさけない、生き物だから仕方ない

嫌なことがすぐにやってくるのと、何時間かあとにやってくるのだと、どっちがいい?

もちろん後者。私は眠るのが嫌いだ。すぐに朝になってしまうから。

なんで生まれてきたんだろうか、という問いは常に「いつかはどうしても死なないといけないんだろうか」という問いとペアになっている。生きるのをやめるためには死なないといけない。そんなの当たり前じゃんとあの子に笑われそうだけど、あの子は全然分かってない。

なんであの子は分からないんだろう。こんなに苦しい生きるということを「やめる」には、絶対に、どうしても、どう頑張っても、死なないといけない。そういうことをじっくり考えたことがないのだろうか、夜に、こうやって、こんなふうに、

人は5歳くらいで「死ぬのが怖い」のピークがきて、徐々におさまっていくんだと昔何かで読んだのに、この歳になってもまだまだ怖い。私の心は成長するのをやめてしまったのだろうか。実際本当にそうなのかもしれない。

(だけどこうやって恐怖を恐怖と認識できる自分のことが悪くないとも思っている、そういうところが恥ずかしい、自分のことが嫌いとたくさん言っているのは多分、好きだから、とあの人が言っていた、)

死ぬということを本当にきちんと考えようとするのは落ち着かない、思わずあたりを見渡してしまう。インターネットでつい検索してしまったグロ画像を見ているときよりもっと痛烈な不安。喉が渇く、

私の見えていない足先から、私を殺す何かが襲ってきたらどうしたらいいんだろう。布団の先から足がはみ出していなければ大丈夫、というルールだったのに、この間見たホラー映画で、ようやく逃げ切った主人公が「一安心」と思いながら布団をめくったら中に悪霊がいて、そのままどこかに引きずりこまれてしまっていた。

考えてみればこの世界のどこにも安全なスペースなんてなくて、布団を被っていたって朝が来る、布団を被っていたって電話が鳴る、布団を被っていたってチャイムが鳴る、こういうことを全部やめるには、やっぱり生きるのを全部やめるしかなくて、それは死ぬということだ。

私がいつか死ぬ。家族が死んでも友人が死んでもそれは仕方がないことだけど、私が、本当に私が死ぬんだろうか。

こんなこと考えているよりもっと朗らかな人生みたいなものがあって、期待されている人間像みたいなものがあって、そういう、人生のハードル走がちゃんとクリアできなくてすみませんと思う。

道徳の授業で100点を取れても、道ゆく人に「手伝いましょうか」なんて声をかけられるわけじゃなくて、そういうことをするためには、ハードルをたとえば50くらいクリアしていないといけない。

私は29ぐらい、嘘、14くらい、分かんない、とにかくでも絶対いろいろが足りないから、正しい人間じゃないのだけは確実なのだ。

明日行くべき場所にどうしても行きたくなくて、「行きたくなければ行かなくたっていいんだよ」みたいなどんな言葉も嘘だと思う。そうやって言わなきゃ私が死んじゃうとか、死なれたら寝覚めが悪いなーとか、そういうことを思ってるでしょって思う。

私はそんなに恥ずかしい存在じゃない、私はそんなに恥ずかしい存在じゃない、私はそんなに恥ずかしい存在じゃない。

「今はゆっくり休めばいいんだよ」とインターネットが言って、そうこうしている間に私の同級生の頭はどんどん賢くなる私の同級生の心はどんどん豊かになる私の同級生の体はどんどん強くなる。

私は「もういい」と言ってしまったあの瞬間から、もしくは死ぬのが怖くてたまらなかった5歳の頃から、ずっとああだこうだ言っているだけの、生きているだけの、息を吸って吐いてするだけの、生き物になってしまったんじゃないだろうか。

死んだおじいちゃんは生きているだけでよかったけど、あれはもうすぐ死ぬってみんな実は分かっていたからで、私はいつ死ぬか分からないから、生きてるだけでいいよなんて絶対みんな思ってないと思う。

生きてるだけでいいよ、そのうちどんどんまたハードル走に復帰して、最終的には年収300万ぐらいになろうね、親に頼らなくても生きていけるようにしようね、親に頼らずに生きるためには今ゲームをしている1日のうちの6時間は全部労働にあてないといけないけど頑張れるよね、頑張れるよね、頑張れるよね、頑張れるよね、頑張れるよね、頑張れるよね。

吐きそう、休んでねという言葉は「いつか頑張ってね」という意味で、だからもっと頑張らないといけない。

分からない、こんな生活をしていたらもうどうしようもない、正社員になりたい、ちゃんとした企業のちゃんとした正社員、でもどこに通うこともできないから私には無理なのかもしれない、無理と言われたことがある、無理なのだと思う。

リサちゃんの話をしないで。ヤマモトくんの話をしないで。ウエハラさんの話をしないで。マミちゃんの話をしないで。リエコの話をしないで。キムラさんの話をしないで。ユウダイくんの話をしないで。エリカちゃんの話をしないで。なんで分からないの。なんで分からないんだ。

こんなに外に出られないのに、健康に生きていて恥ずかしい、風邪ひとつ引かない体が恥ずかしい。

生きることから逃げ出したいけど、逃げるためには死なないといけない。誰かを殴ってめちゃくちゃにしてしまいたい。でも殴るべき誰かが存在しない。どこにもいない。私しかいない。殴っても誰にも迷惑をかけない相手が私しかいない。

朝がくるのが嫌だから夜は寝ない、だからスマホをつけているだけ、こんなことが本当にみんな分かんないのか、私の感覚が本当に誰も。

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小学校と中学校は1日も登校しなくても卒業ができます。義務教育なのは「登校させる"親の"義務」で、子供には学校に通う義務はありません。高校生になったらバイトもできるようになるし、通信制の高校もあるので、もう少し人生の選択肢が増えます。会社はどんどん辞めても大丈夫です。辞めるときは気合いがいるし死にたくなるけど、辞めて引っ越してしまえば大丈夫です。もうどうしようもなくなったら、最悪は海外に行けばいいです。

落ち込んだときに大きい判断をしてはいけない、みたいな言葉があるけれども、嘘です。落ち込んだときはあなたの環境のうち何かがすごく悪い状況にあるので、異物を排除しましょう。普通の人はぜんぜん落ち込まずにこっそりストレスを体の中で沸騰させ続けて、ある日いきなり死ぬから、あなたは運が良かった。

人生はすぐどん詰まりになるけど、あなたは生き延びて、5年後ぐらいに、あのときは頑張ったなあと思えるようになります。5年間は1億5768万秒。あと1億5768万回、時計の秒針が動いたら、もう大丈夫になる。もう今だけで3回ぐらいは秒針も動いたし、楽勝よ。

目を閉じる、もう嫌だという、全部リセットする、寝る、そこから人生の続きを考えるのでも、ぜんぜん間に合う。

あと1億5730万回ぐらい。案外すぐだよ。