<短編小説> 私は幸せ、だってこれまでも幸せだったから

ママが私を妊娠したとき、ママはパパよりも先に田隈さんに「妊娠した」と耳打ちし、田隈さんはその場で私の名前を考えてくれた。ママはその晩、仕事から帰ってきたパパに「秀美ちゃんを妊娠したの」と告げ、その7ヶ月後の12月、私はちょうど妊娠37週目で肺呼吸を始める。

私を妊娠している間中、ママはずっとプルーンが食べたかった。プルーンさえ食べれば、この吐き気も収まるのではないかとずっと考えていたのだという。ママの吐きづわりは出産の直前まで続いた。

スーパーに行けばきっと、旬を迎えたプルーンが所狭しと陳列されていることだろう。そんなことを考えては、仕事から帰ってきたパパに、プルーンを買ってきてほしいと懇願した。

だけど、ママはお医者さんから果物を食べることを禁止されていた。ママの体は、胎児に、つまり私に、糖分を過剰に行き渡らせてしまっていたのだ。

ママの家族とパパは精一杯お祈りをし、ママが苦難を乗り越えられるように祈る。

ママは実際、スーパーに行くどころか、外に出ることも難しかった。7ヶ月間、毎日毎日吐き続けたママは胃液の味というものを知り、胃液と混ざったときの血の味というものを知り、とうとう点滴を毎日打たないと死ぬ状態にまでなってしまった。

これ以上は母体が危ない、と病院で判断されて、37週になった瞬間に帝王切開を行い、その手術が無事に成功したとき、パパとママの家族は、本当に霊験あらたかなお祈りだとそのご利益に驚愕したという。

だけど、今自分と娘が生きているのは、自分と私が頑張ったからではないのだろうか。ママは出産後、そんなことを考えた。だけど即座に、そんなことを考えてしまう自分を恥じた。田隈さんに申し訳が立たないと思った。

ママは祈った。毎日祈った。1歳だか2歳だかになった私とも一緒に祈った。そうして私が3歳になる頃には、ママはそういう浅ましい気持ちを、綺麗さっぱり忘れることに成功した。

ママは産後に糖尿病になった。パパは長時間勤務が祟ってある日からいきなり半身不随になった。妹は高校を中退したかと思ったら大学に行きたいと言いだすし、よせばいいのにおばあちゃんは猫を4匹拾ってきて、ママはたくさんたくさん働かないといけなくなった。

だけど、みんなお祈りだけは続けられて、お祈りの甲斐があったから、私も高校を出てすぐに働けたし、家にお金を入れることができるようになった。

ーーー

北海道に引っ越してきてからというもの、私はどんどん朝起きられなくなってきた。夜ふかししたわけでもないのに頭が重くて、いつまで経っても眠い。

せめてしーたんが仕事を始める15分でも前に起きてコーヒーでも煎れてあげないことには、彼の稼ぎで食わせてもらっているのに申し訳が立たない。そう思いはするのだが、いつも朝目が覚めると9時ごろなのだ。

ラップトップに向かって仕事をするしーたんに「ごめんね無職なのに寝坊して」と声をかけると、彼は笑った。「俺のせいで仕事辞めてこっち来てくれたんだから、むしろあんまり張り切られるとこっちが肩身狭いよ」。「いやでもごめん、あとおはよう」「おはよう」

肩身狭いかあ、と頭の中で彼の言葉を反芻すると、ふと昔のことを思い出して微笑んでしまう。何、としーたんが怪訝な顔をした。いや、なんでもないんだけどね。

私は心の中で続ける。

いやね、妹がお肉屋さんに行ったとき、いきなり店員さんに「肩身が狭いやつでお願いします!」って言い出して、何、と思って聞いてみたら、妹、肩身が狭いっていうのを、お肉の脂肪分が多い状態のことだと思ってたらしくてさあ。大ウケで、それ以来我が家でも「このお肉肩身狭いね」とか言うようになったなと思って。

私はそのときの妹の声を思い出してはなおもニヤつく。だけどもちろん、こういうことは口に出さない。しーたんは私の家族の話が嫌いなのだ。

しーたんは作業が行き詰まったのか椅子の背に体重を預けている。

「なんかさ、私さ、坂下りたところのコンビニで働こうかな、しーたんみたいに在宅で働くとか無理だし、近場で、ギリ車なくても通勤できるとこで働きたい」

そう私が言うと、しーたんはくるりと椅子を回転させて、体ごと私のほうを向いた。やっぱり作業は思うように進まないのだろう。

ひーちゃん、と彼は私を呼ぶ。ひーちゃんはいろんな才能があるんだから、コンビニとかそういう、何も知らない高校生でも働けるような場所で働くんじゃなくて、なんかもっと、お金にならなくてもいいから、とにかく自分の好きなことやってみなよ。

そう言うしーたんの顔は真摯そのものだ。

そのとき、なんとなく、私は家族のことが好きだったな、と思う。

パパの介助はキツいし、門限も厳しいし、お祈りも気持ち悪いし、お祈りのせいで友達もたくさんなくしたと思うし、その割に妹だけはお祈りも免除されていたりしてなんだかなという感じだったし、嫌になることもたくさんあったけど、

それでもそこで生まれ育って、これをすると家族が助かるとか、これをしないと家族が困るとか、私の役割が確実にそこにあった。

猫も妹もおばあちゃんも、イライラするけど基本は可愛かったし、楽しい思い出もそこそこある。

ーーー

私はしーたん以外の男と付き合ったことがない。青春と呼べるような甘酸っぱい代物を経験した試しがない。働き出す前も今も、家族のご飯を作るのは私の当番だったから、帰宅が17時より遅れたことはなかった。

しーたんに「そんな環境逃げ出そう」と言われたときに「いいよ」と言ったのは、その日がちょうど妹の大学院卒業の日だったからだ。理系の院を出た彼女は当時の私の月収よりもずっと高い初任給で働くことが決まっており、ママとパパはそんな彼女を見て「出来のいい子だ」と言った。

お祈りのおかげでしょう、と私が笑うと、彼らは私を見て、苦笑し、一呼吸置いてから、「まあでもねえ、」と言う。

なんとなくその日、しーたんに、「逃げ出してもいいよ」とLINEを送り、その日の夜にしーたんはやってきた。「荷造りしてよ」とLINEが来た。

その時点で、しーたんのことが好きだったかどうかは分からない。しーたんは単に、誰か可哀想な女を救いたいだけのやつだったのかもしれない。

だけど人生って全部そんなものなんだと私は思う。秀美という名前、私の家族、それからしーたん、私の感情なんかお構いなしに、現実はやってきて、一つ一つの事象に今すぐレスポンスをせよと迫る。

それの繰り返し、そういうものだ。

ーーー

朝言った話考えてくれた? としーたんが夕食時に再び言い出す。朝のことって何、ああバイトの? バイトっていうか、やりたいこと。

きょうのご飯は回鍋肉とナスの味噌汁、それから高野豆腐の煮物。スーパーが遠いので、買い物は週に1度しか行けない。週の終わりには、品数も少なくなるし、おかずもちぐはぐになってしまう。

それでも、母の糖尿や父の消化のこと、おばあちゃんの歯のこと、妹の好みなんかの制約を考えずに、健康で好き嫌いのない人間にご飯を作るというのは、考えるだけでも気分が高揚するものだ。

「まあうん、なんていうか、考えてみる、とりあえずきょうは回鍋肉すごい上手にできた」「いや分かる。めっちゃ美味しい。いつもありがと」「いやいや」「っていうか料理は明らかに才能あるでしょ、料理ブログとかやりなよ」「いやあー」「真面目な話。ひーちゃんはもっと好きなことして、人生が楽しい、幸せって思ってほしい」「いやいや」

もう幸せですよ、とか言わなきゃ、と思うのだが、そんなドラマみたいなセリフを私が言っていいのか、と思っているうちに、しーたんが言葉を付け足してしまう。「あわよくば、俺と結婚して人類で一番最高だったとか思ってほしいわ」「人類で一番って」

「だから真面目にだって、」しーたんがお味噌汁のナスを探る手を止めて私のほうをじっと見る、なに、と一応はしゃがせた私の声だけが浮ついて、天井のほうに溜まっていく。

彼は箸を汁椀に置くと私のほうへグッと顔を寄せ、そしてキスをする。

目を開けた瞬間、しーたんのグラスに入ったビールが視界に入り、私は手を伸ばしてそれを飲み干す。築き上げたロマンチックなリズムが中断され、しーたんは笑う。「なんで飲むの」「いやこぼれるかもって」「何それ言い訳じゃん」「そういうのじゃない」しーたんは笑う。「乾杯する?」「いいって、いいから」

しーたんが言う、「ねえひーちゃん、俺と一緒にきたの、よかったでしょ」

くすぐったい息がかかって「知らないよお」と笑う、だってママとしーたんどっちが良いとかどっちが優れてるとかってそんなの決められない、しーたんだって私のご飯作る能力を好きなくせに、私の過去込みで私のこと好きなくせに。とかって思う。そういうことは言わないけど。

二人で倒れ込んだソファに置いてあるクッションはいつから洗っていないだろうと考える、しーたんが私の髪の毛を撫でる、

私はお祈りの言葉を頭の中で唱える、

ママがプルーンを食べられなくて死にかけたのと同じ夏に、私はしーたんのビールを飲み、彼の髪をお返しに撫でている。

「私ずっと幸せだよ」

大丈夫、しーたんのことが好き、これからもどんどん好きになってく、でも大丈夫、これでいい、私はずっと地続きの私で、それだから、そうです。大丈夫。

どこかで猫が鳴く声がする、夏は夏のままでずっと続く。