この時期になると息子の幼稚園がしょっちゅうお休みになるため、息子と遊びながら仕事をすることとなる。オーク材について考えていたはずが、途中から「仮面ライダーリバイス どうなる」という記事について考えている。そんなSEO記事の発注は受けていない。そもそも完結したシリーズにどうなるもこうなるもない。
リバイス、なんかずっと面白いな。あとストーリーがめちゃ複雑だな。
かりにプリキュアがこういうストーリーを出してきたら、私は爆発四散してしまうと思う(つらさで)。
なんで女の子向けと男の子向けでこれだけ性質が異なるんだろう、石ノ森章太郎をリスペクトしているか否かということにあるのだろうか。
石ノ森章太郎リスペクトの女児向けアニメ。さるとびエッちゃん? あ、でもさるとびエッちゃんほぼプリキュアか?(暴論)
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インターネットを見ていると、子供を持つか持たないか、ということが最近みょうにクローズアップされている気がする。なんでだろう?
私自身は、子供を持ったほうがよいか、という疑問について、知りません、と思っている。
というのも、子供を持ちつつ、なおかつ持たない人生を歩むことは、3次元を生きる動物には難しいからだ。
完璧な意味での「比較」ができない以上、メリットとかデメリットとか語る意味あるのか、と私は思う。
意味わかる? メリットとかデメリットって比較ができる状況じゃないと使えないじゃない。
箸の「スプーンに対する」メリットを論じられるのは、箸とスプーンをどちらも使えるからでしょう。でも、子供を持ちながら、同時に子供を持たないことはできないじゃない。
だから無意味だと思うの。
(いずれにせよ、子供を持とうが持つまいが、人生に後悔をする人はするし、しない人はしない。子供は後悔の「理由づけ」として非常に使いやすいだけでは?)
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あと、子供を産むか産まないか、という議論をする人は多くの場合「里親になる」といった中間の選択肢をすっ飛ばしている感じがある。この時点でやはり議論として不誠実だろうと私は思う。
養護施設でボランティアをしたり、養育里親として子供を育てたりするのは、子供を妊娠→出産→成人になるまで育て上げるよりもずっとコミットの度合いが少ない。
(いや、もちろんめちゃくちゃ大変なんだけど、やっぱりまあ、社会的養護って「育児を他者と共有する」って側面がかなり強いいとなみだから・・・大変すぎて虐待とかがあってはならない分野だから・・・)
コミットは少ないわりに、育児のなんたるかはざっくりと分かる。
子供を持っておけばよかった、でももう無理だ、みたいなの、嘘じゃん。人生はいつでも育児できるよ。里親は年齢制限ないし。それでもしないっていうのは、したくないからしたいだけなんじゃないのか?
子供を持つか、持たないか、里親になるか、育児をする人の手助けをするか・・・そういうグラデーションの中で「養育」という行為は語られるべきだと思うのに、なぜかみんな、自分の遺伝子を引き継いだ子供を妊娠し出産し自立させる、という側面からしか育児を語らない。
そういう不誠実な議論、やっても無意味だろ。
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全然関係ないけど、新しいプリキュアを息子と見ながら、息子に「このオレンジの子は男の子らしいよ」と教えたら、かなり喜んでいた。
(でも息子自身は、ピンクのプリキュアになりたいそうである)
男の子でもプリキュアになって良いし、男の子もピンクを愛好して良い。
女が女のために作り上げてきた文化や居場所を、男に盗用されるのは、なんともいけすかない事態だ、という考えも、まあそうかもしれませんね、と思う。
しかし一方で、私は息子のことが大好きなので、「男の子もプリキュアになっていいんだ、かわいい格好をしていいんだ」と無邪気に喜ぶ息子を見ながら、まあこれでいいじゃないですか、とも思うのである。
知らんフェミニストより知ってる息子。最近はまあそういうふうに思う。
ちなみにひろプリ、現時点ではかなり好きだな。