春に生まれるいくつかの命

この文章は出産後、全然真実味を感じられなくなるだろうが、人生のうちいっときしか抱かない感情というものを私は心から愛しているので書き残しておく。

 

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胎児のことを全然愛しておらずビックリする。

第一子を妊娠していた24歳の私は「ハッピーマタニティライフという言葉をこの世から抹消せよ」と憤ったものだが、30歳になってもやはり「お腹を愛おしそうに撫でる妊婦の図像をこの世から抹消せよ」と憤っている。

 

妊娠や出産は母体に全然メリットがない。ただただ苦しいし痛いししんどいし辛い。そりゃたまには「全然しんどくなかった」と言っている人はいるが、それは「風邪をひいたがすぐに治った」と言っているのとほとんど同じように見える。本来マイナスになるべきものがゼロだったことは別に「メリット」ではない。

 

妊娠や出産によって脳が変化する、みたいな研究結果があることも、乳がん・子宮体がんのリスクが低まることも知っているが、それって本当にめちゃくちゃ魅力的か?

みんな「脳を変化させたいから妊娠しよう」とか「がんのリスクを下げたいから妊娠しよう」と思うのだろうか。私は思わない。がんのリスクを下げたいなら健康診断に定期的に通い、適度な運動と栄養バランスの取れた食生活をし、友達とそれなりの頻度で遊べば良いと思う。

それに、親に「あなたを産んだのは、がんになりたくなかったからよ」とか言われるのはめちゃくちゃ嫌だ。そんなわけわかんないことを言ってくる親は怖い。

 

というか、セックスがあれだけ楽しい、というのでもう答えは出ている。妊娠出産は面白くない。強烈に面白くない。全然メリットがない。だから私たちの体は「それじゃ誰も妊娠出産しなくなっちゃうね」「うっかりでいいから妊娠してしまうシステムを作ろう」と思ったのに違いない。

 

私の体はすきあらば受胎する体制を整え、私はすきがあったので受胎してしまった。

 

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いきものが誕生することや死ぬことは別に全然神秘的ではない。もちろん赤ちゃんは可愛いし尊いが、それは私たちの脳が赤ちゃんを「可愛い」「尊い」と認識するように作られているからだ。

毎年春になると、おぞましい量のカマキリの赤ちゃんが卵嚢から飛び出してくるが、私はあの大量のカマキリを可愛いとか尊いと思わない。嫌だなあ〜と思っている。いきものがひしめきあっているのが嫌だ。

 

人間の赤ちゃんはカマキリの赤ちゃんと同じだ。宇宙から見れば同じだ。地球のほかに生命体が存在する星があったとして、そのとき私たちは「この星にいるAという生き物の命は尊いが、Bという生き物の命はそんなに尊くない」というふうには思わないだろう。全部を等しく「命だなあ」と認識するはずだ。

 

だから、人間の赤ちゃんの尊さと、カマキリの赤ちゃんの尊さは同程度でなければ本来はおかしいはずだ。

でも私たちは人間で、人間の赤ちゃんを尊く思うように作られているので、やたらと頑張って赤ちゃんの尊さをアピールしようとする。

 

赤ちゃんは冷静に考えると別に尊くない。理屈で考えれば絶対そうだ。

 

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でもそれは死が珍しいことではないというのと同じだ。

私は死ぬのが嫌だし、自分の息子や、自分の夫や、自分の友人が死んだら非常にショックを受けるだろうと思うが、死は実際のところ毎日のように起こるありふれた現象だ。

 

でも私は、それを理解した上で、その「死」にある種の特別さを感じてしまう。もはやそれは誕生と同じような崇高さを持っている。

 

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己の死について客観的にいることは難しい。それと同じような意味合いで、誕生について「尊くない」と言い切ることは難しい。誕生の尊さは抗い難い。パワーがある。理屈ではない。とにかく尊いのだ。そこに論理はない。

 

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問題は、その「尊さ」を、いつ、どのタイミングで感じるのか、ということだ。

思うにそれは絶対、妊娠中ではない。

 

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私は胎児のことを知らない。

胎動が激しくて胃を蹴り上げるので、妊娠後期になった私に嘔吐をさせることしか知らない。知り合いにそんな人はいない。胃を蹴り上げて吐かせてくる人はいない。そんな人がいたら結構きらいになってしまうと思う。でも胎児はそういうことをしてくる。

 

胎児のせいでつわりが起き、肌荒れが起き、吐き、泣き喚き、仕事を失い、腰痛に悩まされ、腹痛で悶え苦しみ、そのうち陣痛が痛いと泣き叫ぶ。

そういえば前回の出産時わたしは700ml近い血液を失うこととなったし、無麻酔での手術を受けた。

これだけの苦痛を与えてくる生き物に対してまだ「愛情」を感じられるとしたらその人はおかしい。私は胎児に全然愛情を感じない。顔も見たことがないのにどうしてここまで地獄のような責苦を与えてくるのか本当に理解に苦しむ。

 

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でも、そういう生き物のことが「尊く」感じられるタイミングがある。

それは私にとって、胎児が私の子宮から外側に出てきて数週間が経った頃合いだ。

 

目の前にいるふにゃふにゃのいきものが生理的微笑を浮かべたとき、私はおそらく妊娠の苦しみも出産の辛さも全て忘れて「可愛い」と叫ぶであろう。「かけがえがない」「この人間が死んだらつらい」。そういう強い愛着を私は持ってしまう。

 

それは確定している。私たちはそのように作られている。赤ちゃんは理屈抜きに可愛いし尊い。

 

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世の妊婦は、その確定している未来を担保に、腹を愛おしそうに撫でるのだ。

確実に発生することが分かっている愛情を前借りすること。別にまあそんなもん先物取引の一種じゃんといわれれば、そうですね、と思うのだけれども、私は「原始的」な人間なので、現にないものを「ある」と言うことができない。

 

愛情なんてないのだ。それは多分絶対にやってくると分かっているが、今はない。

 

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私はそれなので、胎児に対して愛情を持てとか、赤ちゃんを守れるのはお母さんだけ、みたいな言葉に、いちいちムカついている。ない愛をどうやって発揮するのか。

そんなに胎児を愛したいなら皆さんで勝手にお愛しなさい、現状この胎児から一番不利益を被っているのはダントツで私なのだからね、と思う。

赤ちゃんを守りたいならあなた方で守ればいいのよ。具体的には私に100万円とかを振り込めばいいじゃない。そうしたら私はそのお金で美味しいお菓子を食べてハッピーよ。

 

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愛なんて前借りするな、と私は思う。胎児なんて全然可愛くない。でも多分生まれたら可愛い。それでいいでしょ。

 

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私は今現に存在するものだけを、存在する、と言い切りたいのだ。

愛おしそうに腹を撫でたりしない。この世に生まれてきてくれてありがとうとかも言わない。

 

妊娠は虚構ばっかり、クソみたいである。

私はただ中出しセックスをしただけ。それ以上の意味はない。