しあわせになったミカちゃんと私だから、もう二度と友達には戻れない。だよね。

高校時代から10年以上仲良くしている子にミカちゃんというのがいて私はミカちゃんのことを。

嫌いだ、と書きかけた手が止まる、それからおもむろに「嫌いだ」と続きを書く、3秒考える、1行を全て消す。

私のミカちゃんに対する思いは10年間ずっとこういう感じだったなとぼんやり考える。それでも今まで私たちがやってこれたのはひとえに、私たちのいずれかが常に不幸だったからだ。

雨がざあざあとまばらに降る、息子と夫が寝入っている寝室の、そのドアを見つめる。息子が無秩序に貼り付けたクマのシール。

私は幸せになってしまった。ミカちゃんも幸せになってしまった。だから私たちはお互いが必要なくなってしまった。

10年前ミカちゃんと初めて出会ったとき、ミカちゃんは私の名前を間違えて呼んだ。ほとんど叫ぶようにして、あなたの名前知ってるよ、と彼女は近づいてくる。マリカちゃんでしょう! と言った彼女に、15歳だった私は「マツリですけど、」と返答する。あれ、そうだっけ、と笑った彼女と、彼女と仲の良い男子生徒が笑った。

篠原くんも江田くんも相沢くんも、顔にニキビがあったり、白髪が生えていたり、眉毛がバカみたいに濃かったり、悲しいほどに毛量が多かったりした。彼らは私を排除するでもなく、女として見るでもなく、単に放課後に遊ぶ仲間として扱ってくれた。私たちが仲良くなれるのは、そういうタイプの男ばかりだった。

私たちは男友達のほかに、彼氏を作る。美人で明るい女友達が、やれ彼氏ができないだの、やれいつまでも処女では恥ずかしいだの言っている合間に、私たちは彼氏とセックスをし、彼氏でない男ともセックスをし、それをお互いに報告しあった。

私たちのセックスに対するハードルの低さは、そのまま、自分への肯定感の低さと同じだった。私たちが生きるのに、この世界はあまり適切ではなかったのだ。

私たちにはセックスにまつわるゴシップが必要だった。身を焦がすような恋のパロディが延々と必要だった。己の醜さを忘れるための、己が何者でもないことを忘れるための、己の愚かさを忘れるための、強い刺激が必要だった。

ねえ。彼氏とまた別れ話があって。今度こそもう無理かもしれない。そっちはどう? こっちもダメだわ、本当にあいつクソなんだよ。金返せよって言ったら、電車の中だったのに、その場で財布出して、床にお金落として、拾ったら? って言われた。発想がクズじゃん。そうなのよ。

ねえ、前言ってたあのバイト先の社員さん、どうなった? 変わんないよ、バイト帰りに車で送ってもらって、最後にフェラしてあげて終わり、でもなんか最近、勤務中の態度まで気持ち悪くなってきたから、もう会社に話そうかなって思う。それがいいよ、キモいもん。

あの頃、いつか自分が「社員さん」の年齢に到達するなんて、本当のところは考えてもみなかった。

ミカちゃんは21歳になる直前に女の子を産む。バイト先で知り合って付き合っていた彼氏との避妊に失敗したのだ。ミカちゃんは彼氏のことを、どんくさいだの、空気が読めないだの言っては、いつでも疎ましがっていた。

彼氏が避妊してくれないんだよね、とぼやくミカちゃんに私はいつでもピル飲みなよ、と言っていた。ピル飲むと死にたくなるから飲みたくない、と彼女は笑う。結局彼女はつわりの苦しさに自殺すら考えた。

ミカちゃんの結婚式は有名なホテルで執り行われた。彼女の夫の友人たちは彼に何杯も何杯も酒を飲ませる。彼女の夫は式半ばで激しく嘔吐し気を失い、車椅子で病院に運ばれていった。ミカちゃんは「初夜」をホテルのベッドで一人虚しく過ごす。

ミカちゃんの夫は式が終わったあたりから浮気をはじめた。彼は女に高いディナーを奢るためにほうぼうから金を借りて周り、合計200万円の借金を作る。

彼女が泣きながらそれを私に告げるとき、私は彼女に「離婚しなよ」と言う。彼女は軽蔑したような顔で私を見る。「そういうの、みんな言ってくるけど、部外者がパッと思いつくような解決案を、当事者が考えてないわけないじゃん」。

そうだね。私は言う。ごめんね。ああ、しくった。私はなんでこんなに人の気持ちが分からない馬鹿なんだろう。

そのうち私も結婚をする、子供を産む。

私の場合、結婚相手はとても良い人だったし、妊娠も出産もスムーズに終わった。息子はおとなしい子だったので、育児もつらかった記憶がほとんどない。

そのあたりから、私は彼女に会うのが面倒になる。

私たちは、不幸なゴシップを共有することで繋がっていた。幸せになってしまった今、私には語るべきことが一つもない。

不倫騒動から何年か経ち、彼女は立ち直る。夫のことを徐々に愛し直し始める。「なんだかんだ、私のことを愛してるというのに嘘はないと思うのよ」と彼女は言う。「許せるわけではないけどね」。仕事も育児もバランスを見つけ、それなりに楽しく、平穏な毎日を過ごすようになる。

そうして彼女もまた、私に語るべき言葉がなくなる。

私たちは化粧の話をする。私たちは最近ハマっている「大人の塗り絵」の話をする。私たちはハンドメイドを始めた話をする。私たちは育児の話をする。

意味のない、情報のない、密度の薄い、そういう会話を塗り重ねながら、私たちは気づいている。私たちは、もしくは私は、かつての二人が求めていた、もしくは今も求めているような快楽を満たす情報を何一つ所有していないのだ。

私は、最近新しくできた友人であるマイのことを考える。彼女となら、同じトピックでも心から楽しく思えるのに。化粧の話なら美容系YouTuberの話で盛り上がれる、ハンドメイドが楽しいと話しても「何それイメージと違いすぎる」と笑い飛ばしてくれる。今度新大久保いこうよ、化粧品買おうよ、っていうか今から行こうよ。

マイに前回会ったのは3週間前、前回連絡を取ったのは今朝。「おはよう昨日寝落ちしてた普通に。ごめん笑」。「知ってたしなんならほぼ同じタイミングで寝落ちしてた」「それはそうとゴリラのスタンプ買ったから見て」。

改札でミカちゃんは私に「きょうも楽しかった、また遊ぼうね」と言う、私も「うん、またすぐ会おうね」と返す。改札を抜け、電車に乗る、夫にLINEをする、

「今から帰るよ。すごい疲れた」。

最寄駅まではあと15分ほどだ。

夫から息子の写真が3枚送られてきて、通信制限のかかった私のスマホでは、いつまで経ってもそれらは低画質のままロードを続けている。