【ニセン文字小説】私が愚かで無価値だから浮気されても仕方ないのかな。そうかな

なるほどこうやってそのまま死ねたらいいのにな。死ねたらいいのにな。どうしたらいいのかな。死ねたらいいのにな。死んだらいいのにな。

全身が冷たい。こういうときの体ってそういうふうになるんだな。幽体離脱しているみたい。死んじゃったから、魂が飛んでいっちゃったから、体はヒヤッとしてるとか、そういう感じかな。ああなんで退職しちゃったんだろう。

ポコちゃんがお腹の中でずるずると動く。ゆっくりと足をこちらに伸ばしてくる。かつて脇腹であったあたりの皮膚が彼女の足の形に膨らむ。息が苦しい。「大丈夫だよ」、手をやる。徐々に内側へと帰っていく彼女。

「嫁によると」。

マサルと「Chiho」ちゃんのLINE画面は素っ気ない。青空の背景画像、マサルの発言は緑色の吹き出し。何もかも初期設定だ。メッセージは一週間前までしか遡れないけど、二人はきっとずっと前からの知り合いだろうな、と分かる。Chihoちゃんのアイコン画像がフーコーの『監獄の誕生』だから。

もう一度緑の吹き出し。「俺の精子、味薄いらしいんだけど」そこでもう一度切れる、「どうだった?」

起こして問い正そうか。マサルの肩に少し手を置くと彼はウンとかアアとか言って私に背を向けた。よく眠っている。セックスしてすぐに眠りに落ちた彼の局部、が彼の寝返りによって布団とこすれあう。「きたな、」と声に出す。マサル起きて、と言う。

言いながら、起きてほしくないな、と思う。この人歯磨きしてないよなあ、とも思う。いかにも男物、というシャンプーの臭いに苛立つ。どうして変えてくれないんだろう、つわりのときからずっと吐きそうなのに。

彼の寝息が落ち着いているのを確認し、もう一度スマホのロックを解除する。2、2、5、5、8、8。安易だ。ロックさえかけていればバレないとでも思っているのだろうか。

「Chiho」ちゃんの返事は「いや美味しくないことは確かでしょ笑」というもので、ふう、と私は息をつく。ついた息は熱くなっていて、泣きそうになっているのだと気づいた。なんだか何度見ても面白いな。なんだこれ、なんだろうかこれ。

こういうのは画面を撮っておいたほうがいいのかな、とふと思う。以前インターネットでそういうのを読んだことがある。こんな知識、実生活で全然役立てたくなかったよな。

お腹の中がドン、と響く。ポコちゃんは私の内側にお尻を当てて、左から右へと動いていく。もしかするとこれって頭なのかな。お尻という感じがするけど。

マサルのスマホを元あった位置に慎重に置くと、今度は自分のスマホを開く。Safariを開いて、「夫 妊娠中 浮気」と検索してみる。次々出てくるピンク色の背景をしたキュレーションサイトが私の至らなかった部分を教えてくれる。「セックスレスを男性は我慢できません!」「家事がおろそかになっていませんか?」「イライラを夫にぶつけていませんか?」「男性には、これから家族の大黒柱となる不安があります」「賢い妻はこんなふうに不倫を防止する!」

私は愚かな妻だったのだろうか。愚かなのはマサルだってそうじゃないのか。

「離婚して後悔する人も・・・」という見出しを見て、初めてその単語について考える。離婚。

なんで会社辞めちゃったんだろうな。妊婦のシングルマザーが今から就活とか無理でしょ。手に職もないしさ。ああー結婚式つまんなかったな感動したけどさ。やり直したいなあ。やり直せるわけないか。

ああ、これが一生か。これが一生続くのか。愛されないまま一生か。

LINEを開いて、サワちゃんに「マサルが浮気してたわ」とメッセージを送る。すぐに既読がついた。「どういうこと?」ああ、マサルが「ビール買ってきて」って言ってたメッセージ気持ち悪いな今思うとな。消そうかな。「夜更かしだね いやスマホみたら女と会話してた」「どこまでやってそうなの?」「最後まで」「うわー」

一呼吸あってもう一度サワちゃんから。「どうすんの?」

さっき分かったから、まだ頭が真っ白すぎて。とりあえず誰かに話したくて。と送って、それから、サワちゃん暦通りのお仕事だったよな、と考える。転職したとかは聞いてないから明日も仕事だよね。画面の右上を見て時刻を確認する。あ、充電残り36パーセントだ。どうしよう送ったはいいけど返信くるとか思ってなかったな。

「離婚するの?」

いやあ。どうだろうねえ。

返信しないままスマホを閉じる。

サワちゃんいいよな、宅建持ってるし、同人誌も売ってるし。髪の毛茶色くてフワフワだし。私のこと分かんないんだろうな。私事務職だから無理だよ。極めてるものなんて何もないからさ。ワードとエクセルしかできないもん。それも大原いってたときに取ったMOSがあるから「できます」とか言ってるけどさ、実際この8年とか、会社でエクセルそんな使いこなしてたかとか言ったらさ、オートサムとかばっかりだったもん。無理だよね。

やばいよね。終わってるよね。いやもう無理だよ。終わった。終わった終わった終わった。サワちゃんなんかに相談しなきゃよかったな。

私に価値がないからじゃん? だからさお金もないしさ浮気もされるんだよね。私そんな頑張ってなかったのかな? なんでだろう? 

これまでもろくに愛されてなくて、これからも一生愛されてないままで死ぬんだな。愛されてない人との子供育てて、パパ大好きとか子供が言って、この人のためにお弁当作るんだな私明日も。夕食も作るんだろうな。なんでだろうな。

「ねえ」と大きな声を出す。マサルは起きない。「ねえ」ともう一度言って、肩を揺さぶった。「何、」ようやく起きたマサルに「チホちゃんって誰?」と問う。お父さんとお母さんなんて言うだろう。別に言わなかったらいいのかな。

「ああーあのねえ、」とマサルは笑う。「ごめんね」続ける。「千穂はさ別にさ、っていうか妊娠中って妻も浮気するとか読んでさ」

お腹がゆっくりと動く。トロいのは父親に似ただろうかと考える。何もかもかきむしって捨ててしまいたい死んでしまいたいのに呑気な胎動だけが腹の中で続く。息を吸って吐いて。息を吸って吐く。息が切れる。はあ。伸ばす。彼女の足が私のみぞおちを蹴る。「ああうるさいな」。なんでだろう?

私がトロいのがいけなかったんだろうか、私に似たのだろうか。なんでだったのだろうか。この先もずっとこうだろうか。