アフター・アフターコロナを生きる誰かのことについて

毎年この時期になると「今年ももう後半!!! 1月がつい先月のことみたいに感じる」などと言ってワーワー騒ぐのが私の人生の恒例行事なのだけれども、今年はちっともそう思わない。今年の1月ははるか昔のことのように思える。

なんでかというと、今年の1月はまだ、コロナの脅威なんてちっとも感じていなかったからだ。

ドラマのキスシーンにも、ハグのシーンにも、何も思うことはなかったし、家にはマスクも置いていなかったけれども、別にどうということはなかった。手洗いも徹底していなかったし、しなくてもどうということはなかった。公共交通機関、という言葉に「リスクの高い」なんて枕詞がつくなんて思ってもみなかった。

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どうやら私の思考は変わってしまったらしい。変わったなんてちっとも思わないけれども、3月あたりから徐々に変わってきて、もはや3月より前には戻れない。

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欧米の文化で、クシャミをしたあとに「ブレスユー」と声がけすることがあるけれども、あれは、ペストの初期症状の一つにクシャミがあったかららしい(一説には)。

God bless you、神の御加護がありますように。

もしこの説が本当なんだとしたら、当時の人たちは「クシャミ後のブレスユーという声がけ」を習慣にしようなんて思ってもみなかったことだろう。本当に祈るような気持ちで、神の御加護がありますように、と言っていたに違いない。死なないで、感染していませんように、感染していても、あなただけは生き延びることができますように。

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ヨーロッパでペストの流行が終わったのは1420年ごろだから、今年はちょうど600年が経ったことになる。

2020年をカナダで生きる私は、「ブレスユー」と声をかけるこの習慣が結構好きだ。なんていうか、人に話しかけるきっかけになるのだ。

あまり親しくない人に対しても、その人がクシャミをした瞬間に「ブレスユー」と言えば、「あなたのことを気にかけていますよ」というサインになる。

仲良くなりたいクラスメイトがクシャミをした瞬間に、気持ち大きめの声で「ブレスユー」と言う、ちょっとその子のことを見て、ニヤッと笑う。その子がニヤッと笑い返してくる。

このプロセスを経ることで、翌朝その子とすれ違ったとき、"Morning, how are you?"と落ち着いた心で聞ける("Good, you?")。それを何度か繰り返すうちに、あんまり気兼ねせずに世間話ができるようになる。

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ペストの時代の人たちの切実さにまるで気兼ねせず、私は、コミュニケーションのテクニックとして"神の御加護がありますように"と言う。そうして新しい友達を増やす。見える世界を広げていく。

不思議なことだと私は思う。

感染症が広がっていたその当時、世界は狭まる一方だった。そういう中で、本当に親しい人がクシャミをするというのは、狭まる一方だった世界がさらに狭まってしまう、ということを意味していただろう。

そういう絶望感の中で発せられた苦し紛れの祈りが、600年経った今、私の世界をどんどん広げていく。

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コロナを経た世界で、Bless you、のような新しい文化や習慣はできるのだろうか。その習慣はそのうち、コロナの残り香すら感じさせないような、単なる決まり文句になっていくんだろうか。

2620年後の誰かが、私たちの絶望を使ってあたらしい人間関係を築くんだろうか(その頃まで地球は存続しているだろうか?)。

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変なことだけど、こういう発想が自分の中から出てくることに、私は少しだけ感動してしまう。

600年前に生きていた誰かの気持ちを痛切に理解できることなんてほとんどなかった。でも、3月以降はわりとよくある。死んでしまうかもしれないと怯える人のこと、理屈がわからないデマ、死んでしまう人。

600年前に思いを馳せる、ということは、600年後に思いを馳せる、ということでもある。過去について考えることは、未来について考えることだ。

良くも悪くも、私たちはコロナ以前の自分には戻れない。コロナに良い面があるとすれば、600年後に思いをはせられる自分を得た、ということが一つあるだろう。

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今週起こったこと

・森田くんの誕生日だった。可愛い花柄のリュックをあげた。

・息子(2歳)がオリーブの缶詰(デカくて重い)を私の足の小指あたりにぶん投げた。

どんどん痛くなってきたので多分骨折している。

足の小指は以前にも骨折したことがある(骨密度の敗北)。ギブスなどができないから放置する他ない部位であるらしいので、今回もまあいっかと思って放置している。

ぶつけられた瞬間、痛すぎて「あ〜息子ちゃんこれは本当に痛いよ!!!💢💢💢💢💢💢💢」みたいな感じででかい声で怒鳴ってしまったところ、息子はガチでショックを受け(怒られ慣れていない)、本当に悲しみを絞り出すように1時間ぐらい泣き叫び続けた。

悪事をはたらき制裁され、「怒られて傷ついた!!」と声高に主張する・・・。こういう大人いるな・・・とゾッとしたのでそのあとは切り替えて優しくしてあげた。育児って何が正解なんですかね。ふふ。

そんなわけで2歳児に骨を折られましたが、元気&元気なエブリデイです。