【短編小説】I'm John, whatever

この錠剤を飲めば死ねると男は言った。そういうことを言っていたと思う。あまりにも早口だったので、正確な文言は分からない。"Does it make sense?"彼が私に問うので"ya"とだけ返す。隣に座っていたおばあさんも頷いた。ように思った。

それきり誰も何も言わない。遠くで貨物列車の動き出す音がした。

沈黙は落ちるものだ、となんとなく思う。訪れたり、包まれたりするものじゃない。いきなりドシンと落ちてくるのだ。その衝撃で頭が一瞬馬鹿になって、鼻の奥がジーッとしみる。"ya"私は再び言った。男は落ち着かない様子で、ひび割れた壁を見やる。

彼が気の毒だ、とふと思う。こんなに寒い場所で、履いているのは穴のあいたジーンズ。私は口をぱくりと開ける。i know you get UNcomfortable, right? 頭の中で文章を組み立てたあと、idiot、口を閉じた。甘皮をぐいと押しやる。

鈍痛は私を正しくさせる。comfortableなわけがない。当たり前のことを確認したって、何にも意味がない。

男はさっき薬について説明してくれたときと同じように口を開くと、"You know," べらべらと喋り出した。「whenever死にたいときに死ぬ権利が国家によって保証されること、for anyone、それは当然のことだ。しかし現在sorta思想は罪である。that's insane. それはnot a suicide but a choice, kinda positivity, you know, i feel i support 人々をlike you guys」男はそういうようなことを言う。だけど、やっぱり何を言っているのか正確には分からない。彼はメールで、彼の思想について長々と語っていたし、今も同じようなことを繰り返しているのではないかと思う。

"ya"私は再びそう返す。"i know"

言葉を重ねれば重ねるほど、彼の頰は赤らんでいった。そばかすのまぶされた皮膚が、私のそれよりもずっと薄くて脆いからだ。彼の髪の毛は金色というよりもはや白に近かった。プラチナ色のまつ毛が眼球にかぶさり、彼の目を馬鹿みたいに小さく見せる。

"i..."言いかけて、それから口をつぐむ。男とおばあさんがこちらを一瞥したが、"Nevermind"と私が言うなり、再び宙空に視線をくゆらす。

本当は気の利いたことを言いたかった。「let me confirm, so you mean この薬を飲んで起こりうる最悪の事態は死ぬことですよね。Right? but what i want is 死ぬこと i mean to die, alors, whatever make senseしようがしまいが、Tu sais」

でも、最悪の事態、というのをどう言えばいいのか分からない。The worst thing? 多分それで伝わる。まあもういい。Nevermind.

思えばこの土地にきてからというもの、Nevermindばかり言っていたような気がする。気にしないで、忘れて、うまく言えないから、私の話なんてどうでもいいから。

男はしばらくスマートフォンをいじっていたのだが、Textを打ち終わったのか目をあげる。"So"と言った。"I gotta go"

"ya"私はそう返す。Thanksと言おうか迷ったけれども、自殺をしたい有色人種にThanksと言われるのは恐ろしかろうと思って黙った。For what? 

Je ne sais pas.

彼は真っ青なパーカーに手をつっこむと、私とおばあさんの目を見る。それから"As I said, I'll be back in three hours. Take your time"と言った。

"Got it"私がそう返すのに対して、彼はにこりとも笑わずに頷くと、出口へ歩き出す。

===

彼がゆっくりと扉を閉めると、あとには私とおばあさんだけが残った。私はジップロックに入れられたカプセルをじっと見つめる。

「錠剤を飲んでも、飲まなくてもいい」と男は言った。これは人生に選択肢を与える行為だ。

もしも飲みたければ、この場所はそれに最適な場所であること。このまま男が帰ってくるのを待たずにUberを呼んで帰ってしまってもいい。男はそう言った。the point is「いつでも死ねる、という選択肢を与えること」。

おばあさんは手のひらに錠剤を置いて見つめる。

レモンイエローのカーディガンは煤けたこのビルと不釣り合いだ。そもそも、この国の建物のほとんどは嘘みたいに煤けているんだけど。"What do you take this medicine with" 私がそう口にすると、彼女はやっぱり眉間にシワを寄せた。"What?" "I said, I mean, we can't swallow it without anything, I mean, we need some water or kinda thing to take it" "Okay, so? What do you mean?" "I don't know, I have orange juice so...Sorry I mean, do you have some? Some... something to drink with it?" "No" "Do you want to take it now?" "No"

I just want to take it for some reasonと彼女は言った。Sorry、すぐに私がそう言うと、彼女はIt's okayと言った。あなたは本当に失礼なことをしたけど、別にいいの、It's okay, I don't mind.

excuserしないといけないように感じるのはなぜなんだろう。分かっている、それは私の弱さなのだ。本当はそんなふうに思う必要性なんてどこにもないのに。

「私がここに生きているのはどうしてかというと」。この国にきてからずっとそういう言葉を繰り返し誰かに伝えている気がする。「私の生きていることがどれほど正当かというと」。

ここで死にたいのはなぜなのかというと。私の考えがどれほど正しいのかというと。私という存在があなたにとってどれほど理解可能であるのかというと。それを今からご覧に入れましょう。いいえ、あなたは私を理解する必要はありません、私があなたにとって理解可能な存在に変貌していくのです。

大丈夫、私はNetflixを契約しています、私はSnapchatやInstagram、TikTokを好みます、私はSpotifyを使います。想像より遥かに私とあなたは理解可能な存在同士であるとは思いませんか。

大丈夫、私は私の母国の話なんてしませんよ。Thanksgiving dayにターキーを食べます。道を歩きながらリンゴをかじります。雨の日に傘をさしません。生まれてこのかたずっとLGBTの権利は認められて当然だと思っていたように振る舞います。

大丈夫です。私は本当にあなたが思うよりもずっと、私自身の伝統を捨て去ることに抵抗がないのです。

===

"What's your name"老婆が私に向かってそう尋ねる。"What" "What’s your name"「ああ」一瞬考えてから、"John"と答えた。"John?" "ya" "But..." "You think I don't look like John?"そう尋ねると老婆は"Yes"と明瞭な発音でそう言った。"I know"私は笑う。"I'm not John, but I know you can't pronounce my name" "Oh" おばあさんは小さくそう言い、それから再び黙った。

"But you can't die with the wrong name"

かすれた声が彼女から発せられたのは、それから1分ほどした後だった。私は目を伏せる。"Actually..."

"No, Nevermind"

===

Actually I can. I've been giving up my identity for a long time. 言葉は喉にヘドロみたいにくっついて、何にも出ていこうとしない。文法ばかりが私の脳を押し縮める。

同じ時期にこの国にやってきた、私よりも英語の下手な移民が、どんどんみんなに愛されていくのを見ながら、私はどうしても彼や彼女のように大きな声で笑うことができなかった。It is unbelievableだけで会話を続けることができなかった。I canT understanD、と主張することができなかった。

ネイティブの白人や黒人との会話では大声で笑うのに、私の前では途端に静かになる彼ら。私が何か言おうとすると眉根を寄せる。聞き取ろうとしているのか、黙ってろidiotと思っているのか分からない。焦って言葉を続ける私を遮って、彼らは"Sorry what did you say?"と言う。それだけでいい。彼らがそうれだけで私を黙らせるのにはいつでもそれで十分だった。

老婆の皮膚はたるんでいる、滑らかな皮膚は1センチ以上続かない。くしゃくしゃに丸めた紙のように縮れてシワが寄っている。

なんとなくジップロックを開ける。カプセルに包まれた粉末はちょうど50mgらしい。どんなに大柄な人間でも、これを100mg摂取すれば死ぬのだ、とあの男は言った。「君の体型なら50mgで十分」と男は言った。100mgだと2000ドル、50mgなら1000ドル。

こんなところで金をケチったってどうにかなるとも思わなかった。でも、白人の男に「君ならこれで十分」と言われたら、あえて100mgがほしいとは言えない。

「何ミリグラム入ってるの」私はおばあさんに問う。"What?" "Your medicine. How much did you buy" "Ah, 50mg" "Okay" "You?" "100" "It's..."

セラーの男、最初からあなたには100mgって言った? 私、50mgでいいって言われたんだけど。セラーの男と知り合ったのはどこ? facebook? 別のセラーもいるの? そういう疑問が頭の中をぐるぐる回る。老婆がこちらに注意を払っているのが分かる。何も言えない、こんなこと、こんな世間話が、満足にできないばかりに。6歳児でも出来るような世間話が。

なんとなく薬を手に取り、それからおもむろにそれを飲み込む。鉄分のサプリメントと同じ味。体内で溶けるカプセルオブラートの味だ。

ごくん、と飲み込んだ私を、"Did you..."おばあさんは凝視した。"Yes"そう答えると、彼女は私のもとに駆け寄る。"Oh John" 彼女の鞄の取っ手は丸い大きなビーズをつなげたものだった。どこかの国の宗教行事で使われそうだな、と思う。"Oh God"彼女はまた言う。言いながら、私の背中を強く叩いた。Don't hit me. Do not hit me. "That's why I came here"そう私が言うと、"No you can't"彼女は涙ぐんでいる。この国の人はよく泣く。

おばあさんは私の背中を叩き続ける。"Oh God"と彼女が何度も言う。みだりに神の名前を唱えてはいけないけれども白人だけは唱えてもいい。なぜなら彼らは白いから。ああここは狭い。天井が明滅する。ここは明るい。ここは暗い。ここは冷たい。"Oh God save her please"、彼女がそう叫ぶ。"Mme"、私は返す。"I don' believe in Go' alors no one can save moi"語末のdとtは発音しない。語末の子音は鬱陶しいから存在しなくても構わない。

"Don't say that"彼女の皺だらけの指が私の喉の奥に入り込んだ、"Spit it out, oh God, oh John, spit it out everything"置かれている私の体が安置されているその場所。首の骨から私の胃液がぶるぶる震えて固まり吐き出される、草食動物のbunch of shitみたいに。私はそれを吐き出す、老婆の指と舌が絡まって急にいつかのセックスを思い出す、「死にますか」喉がそう言う。"What?"「死にますか?」"What? John I can't understand what are you saying"吐き戻したいと私の脳は思っている。Mais pourquoi。鼻梁から突き抜けて再び私の食道が出ていく。分裂した小さな薬の粒。

「救急車」私は言う。"What? John"困ったような女の顔、知らない女、外部の、知らないその女、女の顔が動く、誰も知らないこの場所で私のたった一人の私のそのことを「大嫌い」Mais pourquoi、Mais pourquoi、Mais pourquoi。Nevermind。

この国に私の居場所はなかった。なぜなら私はあまりにも祖国的すぎたからだ。私はこの国の人たちが面白いと思うことを何一つ理解できなかったし、気の利いたことも言えなかったし、言語以外の人懐こさもなかった。

だけど、私の祖国にも私の居場所はなかった。

自分がこの世界のどこにも馴染むことができない、という事実を、お金と時間をかけてゆっくりゆっくり確認していく作業。もう無理だろう、もう無理だろう、と自分を騙しながらやってきた。

これは選択肢なのだ、と男は言った。本当にそうだ。選択肢。生きることは、死なないということ。次の呼吸を行うことを、自分に許すこと。

"John, what is your name"

老婆が私の名前を問う。私は答える。「――」

彼女はやはり私の名前が分からなかったようだ。"Sorry?" 眉間に皺を寄せる。「――」"Ah..." 慎重に言葉を探す老婆の気持ちを私は汲んであげる。"Nevermind" 私は言う。"It's okay, I'm John"

本当はもう私、死んでしまっているんだろうか。一体どうして私は、生まれ持った名前で死ぬことができなかったんだろうか。そうして剥奪された私の名前は今どこで、どんなふうに、存在して、宇宙の、質量を、食って、それが、私が、どこが、

ああなんて気持ちがいいのか、