息子の入園式だった。制服をきた息子が新鮮で、かわいくて、「かわいいなあ」と何度もいう。3年間おなじ制服を着るので大きめサイズを購入したところ、肩幅がガンダムみたいになっていた。それもまたかわいい。
昔から「学校なんて、入れるのが当たり前であるべき。むやみに寿ぐな」という気持ちがある。
息子のための式なのだから、親はもっとテンションあげていかねば、と思い直し、「これは学びへの言祝ぎなのではなく、息子の人生の節目なのだ」と自分に言い聞かせたが、やっぱり別にそこまで感慨深くもなかった。幼稚園の前で撮った息子の写真は、顔が緊張でこわばっている。こういう顔をするようになったんだなあ。
園庭におかれた椅子にこしかけると、ワンピースの裾に砂がたくさんついて、すわるたびそれが気になる。
入園式には、おやこ二人で参加している家庭が多かった。わたし自身の子供のころのことを思い出してみると、学校行事に父親が参加していたような記憶はない。ような気がする。父親も母親も入園式に出席するのって、むかしから当たり前のことなんだったっけ・・・。もしも時代の変化でそうなったのなら、なんだか嬉しいことだよね。
よそんちの3歳児が非常にお利口さんであることに衝撃をうける。飽きてもしずかに座っているとか、大きな声で元気にお返事するとか、どうやって学んだのだろう。
というか、わたしは子供の頃、飽きたら単独行動をしていたし、元気なお返事なんてしなかった。今も、他人の都合でじっと座り続けるのはかなり不愉快。なので、あんまり躾に身が入らない・・・。
まあ、幼稚園から「躾をしてください」と言われたら考えようかな・・・。
むすこは式の間中ずっと、じぶんの宝物がはいった袋を手に持っていた。
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式がおわったあと、駅でショッピングをしたり、タピオカを飲んだり、映画館の案内をみたりした。息子はほんとうにつかれたようで、ちょっとグズグズしていた。
外食をしたのだけれども、店内に入ったところで「外がいい」と地獄のように泣きだす。手がつけられなくなったので、一緒にレストランの外に出て、しばらく泣かせたまま放置。5分ほど泣いたあと、スッキリしたのか「みんなで一緒にすわる!」と言い、自分から店内に入って、それからはニコニコ抱っこされていた。
他の園児を見ていて気づいたのだけれども、息子はそこまで「育てやすい子」ではないのかもしれない(いや、わたしが"育てにくそうな子"になってしまうような教育をしているのかもしれないが・・・)。
育てやすいのではなくて、わたしと性質が似ているから、気持ちや扱いかたがよく分かるというだけなのかもしれない。
息子はわたしに似ている。甘えるのがすきで、でも一人でいるのもすきで、繊細で、感情的で、何をするにしても納得するまでは動けない。
むすこが幸せな人生を送ってくれたら嬉しいんだけどな。
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夕食は、このあいだこのみちゃんからもらったハーゲンダッツを食べる。申し訳程度にサラダも食べた。
むすこは普段の少食っぷりがうそのように、モリモリとハーゲンダッツを食べていた。
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ハーゲンダッツを食べながら、夫と一緒にPRODUCE101 JAPANのシーズン2をみる。なんだか今シーズンはみんな歌えるし踊れるね。シーズン1があれだけ成功して、日プでデビューするということに箔がついたからこそ、実力のある人たちが応募してきたんだろうなあ・・・とほのぼのした気持ちになる。
わたしの推しはテコエなのだけれども、エピソード1の時点から推しがいると、番組をみるのが非常にしんどいことに気づく。順位がどうとか、考えたくない! テコエはもう最高なのに!! テコエが苦しんだり悩んだりしているのを見たくない!!! おちゃらけ男子としてのテコエだけを見ていたい!!!! デビューはよ!!!!!
夫と一緒にキャーキャー言いながら観て、観終わったあとすぐに一緒に投票し、そのあとも余韻がぬけきらず、「ちょっと福田の10問10答を観よう・・・」などとうろたえあった。
これから毎週ずっとプデュが観られる、嬉しいけど心労がすごそうだな・・・。
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父親とLINEでおしゃべり。「あなたは兄弟の中でも群をぬいてかしこかったから、私がなりたくてなれなかった弁護士になるのはあなたしかいないと思っていた。でもあなたは法学部に行くことができなかったよね」としんみり言われる。
以前はこういうことに対してモロにダメージをくらっていたのだが、昨日はちゃんと「教育に金も体力も時間も期待もかけなかったのに何を言っているの」と笑って反論できた。
5人も子供をつくって、育てきれずに放任主義で、夫婦で教育方針がきまらず、何をするにも喧嘩ばかりで、引っ越し好きで習い事は継続させられず、褒めることといえば「あなたはお金がかからないから楽だ」という文句で、
ほんとうに、なぜそういう育児の結果として、弁護士の娘を持つことがワンチャンあると思えるのか不思議だ。うちの父親はすごく賢いのだが、子供に対する態度は全く論理的ではない。
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やだやだと思いつつ、積読になっていたマルセル・モースの『贈与論』をよむ。贈与論ってなんか、積読というよりもはや背景みたいな感じがあったのだが、やっぱり古典って、たいがい面白いもんなんだなあ、と思う。
古典がこれだけ豊富にあって、絶対に面白いのに、なぜ新しい本というのは次からつぎに生まれてくるんだろう。人類に新規性なんてもうないのにね。でも人間ってたぶん、知ったこととか思いついたことは、誰かに伝えずにはいられないんだろうね。それがどんなに陳腐でありふれた発見でも。