死んだら何色になるのきみは

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昨日は教習所。初めて車を運転し、たいへん楽しかった。

 

車を運転するにあたって、車の仕組みを知っておこうと思い、授業の前にYouTubeでいくつか動画を見たところ、広告が全て「ちんちんが大きく硬くなる」サプリみたいなやつと、あとパチンコのやつに変わってしまった。これまで子供向けの可愛いアプリの広告しか出てこなかったのに・・・。最悪だ・・・。

 

視聴者が男性にかたよっている動画を見たからということなんだろうな、と思うけど、

だとするとそれってつまり、YouTubeは「男は大抵、ちんちんがでっかくなりたいだろ」と考えているということだが、本当だろうか。

10人男がいたら8人ぐらいは「それなりの額をかけてでも、ちんちんをでっかくしてえ〜」と思っているということ?

石を投げたら「ちんちんでっかくしたい男」に当たる社会、素朴に嫌だな。資本主義が間違ったふうに伝来してしまった国かよ。

 

 

つらいのでYouTubeプレミアムに登録したが、「ちんちんを見せられたくなければ金を払え」と迫ってくるビジネスモデル、絶対に何かが間違っていると思う。

 

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午前中は息子と遊ぶ。「外でおやつが食べたい」という欲望を満たすためだけに散歩へ。散歩をしているうちに面白くなってきたので、おやつのことを完全に忘却。家に着いて手も洗ったタイミングで息子から「おやつは?!」と言われた。

息子は外でなければおやつは美味しくならないという持論を持っているので(正しい)、窓を全開にして、顔と手だけ出して「ほぼ外だねえ」と言いながらおやつを食べた。

 

散歩中、本屋に入ったところ、息子からリクエストがあったので『カーズ・トミカコレクション』を買う。カーズは1年ほど前に息子と一緒に観たことがあるので、覚えているのかな? と思ったが、聞いてみたら「ぜんぜんシラナイッ」とのことだった。「目が付いてるねえ!!」とも言っていた(カーズは大概そう)。

www.ehonnavi.net

主人公である「マックイーン」の名前がなかなか覚えられない息子。

ページをめくるたびに「この子のお名前、ナンダッケ!?」と聞いてくる。ときどき「ワカメだっけ?!」と、マジなのかBABYおもしろギャグなのか分からないことを言ってきた。

コミュ障なので全て「マックイーンだよ」で通す。息子との会話、正解が分からない。

 

カーズには、日本のレースカーが出てくる。シュウ・トドロキというキャラ。

takaratomymall.jp

息子はこのキャラを見て、「死んでるブーブだねえ!」とめちゃくちゃ自信たっぷりに断定。その後は、何度私がシュウ・トドロキを指差して「この子のお名前は何?」と聞いても「死んでるブーブ」と答えていた。

確かにマックイーンが死んだらこんな外見になるんだろうな・・・とちょっと納得してしまった。

 

就寝時、息子と一緒に会話していたら、ふと「教習所の先生に失言をしてしまった」と気づく。しばらく「ウワ〜やっちゃったよ〜」という気分になっていた。息子が不思議そうな顔で見ているので、「まーいっか〜」と言ったら「ソ〜ダヨネ〜〜〜!」とニコニコ。

「お母さん、失敗しちゃった。ドンマイって言って」と息子に言ってみたところ、ドンマイという言葉を生まれて初めて聞いた息子は、ニコニコしながら「ま〜ど〜」と言ってくれた。可愛いね。

 

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育児して働いている人間は幸福度が下がるみたいなデータがあるそうな。

私も、産まないほうが、金も時間も自由に使えるし、「幸せ」だったかもしれないな、と思うことはある。

でも、そういう資本主義的な「幸福」と、産んで育てるっていう動物的な営みの中にある「幸福」は、全然質が違う。そもそも比較ができないと思うよ。リンゴと鉛筆どっちがいい?! みたいな。最初からジャンルが違うので。

 

この子の一生に責任を持つんだ、と思うことはしんどいし、大変だし、イライラする。もちろん自分一人とか恋人と一緒に生きていたほうが「楽しい」よ。

でも、人類がそういう「楽しさ」を享受できるようになったのはかなり最近のことで、私たちの体はずっと、産んで育てるという行為をいかに「幸福」として認識するか、ということに、精魂を費やしてきたんじゃないかなと思うよ。ホルモン出したり、脳を書き換えたり。だってそうじゃないと滅ぶし。

 

だから、幸福度が、資本主義的なスケールで見た時に下がっているとか、そういうことを、多くの子持ちは「どうでもいい」と思うんじゃないかな。

夫がクソとか、育児疲弊するとか、金がないとか、お先真っ暗とか、そういうのを勘案し、まあそりゃ私の幸福度は低いでしょうなあ、と思っている、上で、そこを飛び越えて、「でもやっぱ子供産んでよかったんだよな」と思ってしまう感じって、ないのかな。私は強くあるけど。

そしてその思考のジャンプって、全然なんか、理屈がつけられないんだよな。人間の中の、言語の存在しない部分だよ。私はこういう、言語の存在しない部分について考えるのがすごく好きなんだよなあ。大学時代からずっと「言語の存在しないこと」について大興奮しながら考えているよ。

 

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5月に母親とフジコ・ヘミングのピアノコンサートに行く予定だったのだが、緊急事態宣言をうけて延期になってしまった。ミーハーだから有名な人がコンサートをしていると聴きたくなってしまう。

 

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あと1年半ぐらいで30歳になるので、それまでに色々なことをやっておこう! と思い、ワタワタと色々に手をつけている。

この焦りはね、なんというのか、家事をしながら「もうすぐ洗濯機が終わるから、そこまでにどれぐらい部屋を片付けられるか」と考えているときの焦りと同質だな。区切りがいいしどうせなら焦っとこう、みたいな感じ。年末の大掃除の感じというか・・・。

 

1年半で何ができるんだろうな。色々できるような気もするし、ぼんやりしてたら終わっちゃうような気もする。