今週は全然読まなかったんだよな〜。
読んだ漫画
『青野くんに触りたいから死にたい 8』
↑はあ・・・超良かった。毎巻毎巻更新してくる。恋愛中の奇妙なハイテンションがきちんと再現されている、すごい作家だなと思う。あんなに「これは私の恋愛だ」と思わされることない。
読んだ小説
・プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』
・阿部和重『アメリカの夜』
・網野 善彦『中世の非人と遊女』
あと、
・太宰治の作品いろいろ
アメリカの夜、Kさんから勧められて、即ポチって積読していた(お家芸)。
書いてるうちに「気違い」って書くのが楽しくなって来ちゃっただけでは? と思われる部分が多々あり、言葉に乗っ取られてしまっているな、と思った。
シンセミアとかと随分印象違ったな。
Kさんがお勧めしてくれる本あるある:
重厚なストーリーや文体なのに、登場人物がめちゃくちゃ小市民っぽいことをしたり、ギャグなのかマジなのかよく分からないけどとにかく読んでるこっちはフフッて笑っちゃうエピソードがぶち込まれてくるやつ
私もこういうやつが好きなんだ。本はやっぱ、面白くてなんぼだと思う。
これからもオススメ本の紹介、なにとぞよろしくお願いします。
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治の作品、これ↓を読んでるんだけど、永遠に終わらなくてウケてる。この本を読むのに平均でかかる時間は95時間半ですって言われる。理由は4863ページあるから。辞書やめろ!
この本、太宰の青空文庫に入ってる作品が、50音順に並べられているだけの、色気もへったくれもない感じなんだけど、かえってなんか「編者への尊敬」とかを感じることなく、ただただ太宰の色々を読んでいるという感じで、落ち着く。太宰も絶対「こういうのでいいです」って言うよ。知らんけど。
しかし私、治のことすごい好きだな・・・。
これまで読んだ感じだと、
ヴィヨンの妻
黄村先生言行録
おしゃれ童子
お伽草紙
女の決闘
駈込み訴え
あたりが好き。
太宰は、女を書くとき、「男の考えた女」って感じじゃなくて、「そのへんにいそうな女」を書くのが上手だ、と思う。あんまりなんかこう、男にとって都合のいい女みたいなのが出てこなくて、よくもまあこんな虚心坦懐に、「女」を描けたものだ、と思う。
女を書くとき以外も、太宰の書き方はすごいなんか、全然、ブンガクっぽい虚飾がなくて、こいつはマジで「マジ」を書いているぞ、という感じが、すごくいいな、と思う。見栄とかプライドとかないのかな太宰には。
太宰の文学って、堕落した生活がうんぬん、とか、退廃がどうの、という批評が、インターネットを見ると書いてあるんだけど、2割ぐらい読んだ今のところ、あんまり退廃している感じはしない。
以下に私のフェイバリット太宰を置いておくので、見てください。
語学の参考書を買ったときのあるあるを書いただけの太宰
かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイルのものを買って来て、和文のところばかり読んでいる。
(『愛と美について』より)
弱小陰キャの太宰
私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の核心の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。
(『桜桃』より)
夫が浮気して心中しちゃったのだけど、怒りとかよりも先に呆れちゃう女を書く太宰
夫のお友達の方から伺ったところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家に泊りに来たりしていたそうで、妊娠とか何とか、まあ、たったそれくらいの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、そうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思いました。
(『おさん』より)
浦島太郎の亀が「性格の悪さ」にステ振りを全開したときの太宰
あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、さうして、いぢめてゐる相手は子供だつたからでせう。(中略)あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切つたものだ。(中略)私のからだの値段が、たつた五文かと思つたら、私は情無かつたね。(中略)しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとへば荒くれた漁師が病気の乞食をいぢめてゐたのだつたら、あなたは五文は愚か、一文だつて出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違ひないんだ。
(『御伽草子』より)
おもしろ陰キャの太宰
親という二字と無言の親は言い。この川柳は、あわれである。
「どこへ行って、何をするにしても、親という二字は忘れないでくれよ。」
「チャンや。親という字は一字だよ。」
「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」
(『親という二字』より)
色々言ってるけど結局「高い家電は買うの躊躇うよな〜」しか言ってない太宰
私はこれまで十何年間、ラジオの機械を自分の家に取りつけた事が無い。ただ野暮ったくもったい振り、何の芸も機智も勇気も無く、図々しく厚かましく、へんにガアガア騒々しいものとばかり独断していたのである。(中略)
いや、実は、あのラジオの機械というものは、少し高い。くれるというひとがあったら、それは、もらってもいいけれど(後略)
(『家庭の幸福』より)
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好きな人は好きでしょ、この感じ。
は〜。まあそういう感じです。