ちょっと人生がガタガタ変化している感じだった。この1週間ぐらいで起こったこと。
・自動車学校を(ついに)卒業した。おめでとう私! やればできるって信じてた! あとは警察署で筆記試験を受けるだけ! 試験は平日しか開催されていないので、有給を取らねば。一発合格したいので頑張るぞ・・・。
・カウンセリングに行った。カウンセリング自体は、まあそうだよね〜という感じの内容だったけど、自分でも本を読んでみようと思い、見捨てられ不安についての本を読む。
・転職を結構真剣に考えたあと、思いとどまった。
*
転職を考えたのは、直属の上司が退職することになったから。
人員補充はないので、これまで上司がやってきてくれていた仕事を私が担当することになりそう。
・・・というか、一人部署になりそう。ううっ。
会社の社長秘書さんから、「これまでは完全在宅を許してあげていたけど、これからはもっと会社の役に立つように頑張ってほしい。自主的に通勤するなどしてほしい」と言われたのだが、私は都会への通勤ができない。満員電車に乗ると、人が多すぎてクンニャリなってしまい、1日何もできなくなっちゃうの♡(繊細♡)
ラッシュの時間帯に通勤をしないといけないなら都会の会社に勤めることは無理なので、地元の企業で転職を考えていた。
で、面接をしたりしてみて、これ普通に退職しても大丈夫そうだな〜と思ったところで、社長に相談。
すると、「完全在宅は会社がこれからどんどん推し進めていきたい方向。"リモートなら働けるけれども優秀な人"をどんどん採用していかないと、うちのような小さい会社は残れない。社長秘書は自分のことを社長だと思っていて、適当なことを言いまくっているだけ」と言われた。
そっか、と思ったので、転職はやめておくことにした。
まあ、息子がいるうちは完全在宅が一番いいっていうのはそれはそうなんだよな。次の子供のこととかも考えやすいし。
ちなみに、上司の仕事を私が担当することになるので、お給料はそれなりに上がるっぽい。
でも、私は指示されたことをマッタリと頑張るほうが、3歳児を育児しながらだと気楽だった気がしており、大丈夫だろうかと不安な気持ち。
でも、ふと「動画編集を学びたいのだけど、スクールとかに通ったら、会社でお金って出ます?」と聞いてみたところ、出るみたい。やった〜。お金もらって勉強できるなら、全然残る残る。
*
今度、息子を私の父母に預けることになった。息子を親に預けるのは人生で初めて。
生後2ヶ月から保育園に預けていたし、生後6ヶ月でベビーシッターに預けたこともあったのだけど・・・。なんで息子が3歳とかになるまで、親を頼る気にならなかったんだろう。
まあ、親とそこまで親密にコミュニケーションを取ってなかったしな〜。
あとは、私はもう実家からは出たんだ! 一人前なんだ!! っていう気概もあったしね。頼ったらダメだ! みたいな。
あとは産後で手負いのクマみたいなメンタルになってたし。
産後、本当に手負いのクマみたいなメンタルだったな。「†誰ノコト モ モウ 信ジラレナイ†」を地でいくスタイルというか・・・。
育児は夫に預けて寝ればいいのに、「役に立ってないと生きてる価値がない」と思って頑張ったり、夫が育児を普通にこなしてると、私の役割がこの家の中に存在しない・・・と思って、死ぬほど悲しくなったり。
見捨てられ不安について書かれた本を読んでいて、「あなたが落ち込んだときに、砦となる存在は何ですか?」という質問があったんだけど、私にとってそれは、夫だったんだよな。
だから、夫から「妻や母としての価値がない」と思われることが怖かった。
*
今は、砦となる存在が、「家族」にスライドした感じがある。だから、夫と息子に愛想を尽かされたらどうしよう、と不安になるんだ。
たとえば夫婦喧嘩をして、「ちょっとクールダウンして冷静になろう」と夫が息子を連れていくとかが、めちゃくちゃ辛い。
「夫と息子で絆を深める→家庭内で居場所がなくなる」と思い、自分ではコントロールのできないようなパニックに陥る。むちゃくちゃ怖い。殺されたほうが全然マシというぐらい怖い。
カウンセリングでは、こういう強い見捨てられ不安について、ちょっとずつ言語化していけたらいいなあ。あと、対処法が分かるといいなあ。
*
父親に「養子を引き取りたい」と話したら、思ったより難色を示された。
というのも、うちの父方の祖母が養子だったから。
祖母は、曽祖母(10年ほど前に亡くなった)を神格化しているところがある。育ててもらった、みたいな負い目があったと思うし、最後まで曽祖母を貶したり、邪険に扱ったりはできなかった。父親はそれが「健全な」親子関係ではないように見えて、息子としてもつらかったとのこと。
たとえば、曽祖母の介護をするとき、祖母は、ほぼ狂乱状態だった。かなりヒステリックで、過剰なものになってしまった。完璧な介護をしなければいけないという強迫観念みたいなものがあって、介護の時期はかなりしんどかったとのこと。
それから、祖母には強い見捨てられ不安がある。うちの父親も見捨てられ不安が強いし、私も強い。これは我が家の家系に脈々と受け継がれている。
強いトラウマは3代ぐらい引き継ぐと言われていて、ようやく息子の代で消えたかな、というところなのに、また養子を迎えることで、見捨てられ不安が強まるのはいかがなものか。
里子は多かれ少なかれ、親を「本当の親」「血の繋がった親」とは思えない(事実そうだし、血の繋がった親の否定は自分の否定にもつながるわけだから、血が繋がっていないと思うこと自体は悪いことではない)。
でも、その「自分は根無草だ」とか「ルーツがない」と思う感じは、元気なうちは表面化しないかもしれないけれども、親と子供のどちらかに元気がなくなったときに、歪みとして生じる可能性がある。
そういう歪みを、里子もそうだけれども、息子がモロに引き受けることになる。親は里親になることを選べるからいいけど、息子は、選んだわけでもないのにそういうしんどさに直面しなければならない。それはかなり残酷なことではないか。
*
とのことだった。
そうか、里親になるってそういうことなんだよな・・・と思った。
父方の祖母の「しんどさ」は、私はもう嫌というほど知っている。本当に苦手だし、苦痛だった。論理ではない場所からくる恐怖に、周囲が振り回され、支配される構造は耐え難いものがある。
祖母の実親も、かなりゴチャゴチャしていたし、育てていない娘に対して、めちゃくちゃ傷つくようなことを平気で言ってくるし、我が家は結構ダメージを食らっていた。
希望的観測として、うちの子になる里子はそういうことは起こらない、と言い切って、見切り発車で里親を初めてしまう手もあるけれども、それで子供たちにトラウマを与えてしまったら、責任を取りようがない。
父は私に対して「あなたの好奇心が強くて、何にでもチャレンジしてみたがることは知っている。でも、命を使って知的好奇心を満たすのは、あまりいいこととは言えないと思う」と言っていた。
でも、じゃあ誰が、ケアの必要な子供たちを守れるんだろう。子供のいない夫婦か、やっぱり。里子に対して、里子を育てると決めた大人たちだけの空間で育児ができるわけだし。
っていうか、民間の特別養子縁組団体とかって、実子がいないことが条件の団体とかあるんだよな。あれはやっぱりこういうことなのか。
父の話は当事者の経験としてすごく納得できたんだよな。
どうしたらいいのかなあと考え中。
でも、そうこうしていくうちにも若さは失われていくし、前に進みたい気持ちもあるから、とりあえず社会福祉士の資格とか取ろうかな、という気持ちです。
そんな感じ。