私の体のせいなの

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産まない人生を歩むこと、あなたはいつ、どんなふうに決めたの。タイキに問われて、私は「分からない」と答える。

本当は分かっていて、それはまあ、昔の元カレ、っていうかヒロトが「反出生主義者」だったからだ。彼氏に感化された主義。そうですダサいやつです。

ヒロトは料理がとても上手だった。男の人の料理って、角煮とか、ローストビーフとか、なんかそういうハレの日の料理になりがちだけど、ヒロトはそうじゃなくて、普通にカルボナーラとか作ってくれて、私はそれが本当に嬉しかった。たまねぎをスライスする彼を後ろから抱きしめて、肩甲骨にキスをする。ねえ、セックスしようよ。

 

重たい重たい敷布団の上で丸くなりながら、ヒロトはしばしば、自分がいかに反出生主義者かを教えてくれた。「自分のパートナーに辛い思いをさせたくない」とか、「自分の遺伝子を遺したくない」とか。

それってまあ、27歳ぐらいの男なら誰でも言いそうなことだったと、今になって思う。でも私はヒロトのことがとても好きだった。年上の彼氏ってやっぱりいいなあと思っていた。子供のこととか、ちゃんと考えてるって、それってすなわち大人だ。

 

ヒロトと別れたのは、私が妊娠してしまったからだった。

私はあの頃、ピルを飲んだり飲まなかったりだったから。そのわりにヒロトには「ピル飲んでるよ」なんて言っちゃうもんだから、ヒロトは自衛ができなかった。彼は中出しが好きだったのだ。

喘ぎながら、いつかは妊娠してしまうかもなあ、と思っていた。でも、妊娠したって別に、死んだらいいもんな、と思っていたから。

 

妊娠しちゃったみたいでさ、と私が告げてから1週間後のお泊まりで、ヒロトのスマホに新しくTinderがインストールされているのを見つけた。夜が明けて、ヒロトが仕事に行くのを見送ってから、荷物をまとめて、鍵をポストに入れて、出ていく。そのままヒロトには二度と会わなかった。

しばらくしてから、ひどい腹痛と一緒に生理がきた。お腹のただ一点だけをズクズクと突かれるような痛み、内臓がひねりつねられるような痛み、私は私の指先がふるえているのを黙って見つめていた。コウスケに「今から家来られる?」とメッセージを送る、なかなか既読が付かないLINEの画面を見ながら、私はゆっくりと目をつぶる。

 

一人だ。でもどうして私は一人になっちゃうんだろう。それは私の子宮が繁殖しようとするから。

 

***

 

私はヒロトのことがとても好きで、だから、彼との子供を必死に生産しようとする私の子宮がしんそこ疎ましかった。私の体に付いている不要な機能、要るなんて言った覚えのない機能、すきあらば妊娠しようとする機能、私と彼氏のセックスを妨害する機能。

私はヒロトとずっと一緒にいたかった。結婚したかった。結婚して、私は月に20万円ぐらい、ヒロトも23万円ぐらい稼いできて、二人で小さなアパートに住む、ハムスターを飼う。一緒にポケモンをして、呪術廻戦をネトフリで見て、パスタを食べて、セックスをする、ときどきお洒落をして自由が丘に遊びにいく、カラオケで9mmを歌う。

でも私は妊娠してしまって、それでヒロトは私のことを恐れるようになった。「妊娠していない別の女」を探すようになった。

「この女は妊娠するかもしれない」とか「この女は妊娠したがるかもしれない」と、男たちが私を恐れることに、私は耐えられない。私に対する恐れとか、怒りとか、失望とか、わだかまりとか、そういう負の感情を、覚えないでいてね、と私は思う。

いつの日か、セックスのできる家政婦さん、に、なれたらいいのに。きみがいないと生きていけない、と、誰かに言ってもらえたら本当にいいのに。

 

「産まない人生を歩むこと、あなたはいつ、どんなふうに決めたの」タイキのその言葉に答えながら、私はうっすら笑う。分からない。「でも、産まないって決めてるの、ずっと前から」

それはタイキの求める答えだったみたいだ。「そうなんだ」としか言わない彼を見つめながら、今度こそこの人と結婚したい、と私は思う。